秀才はノーベル賞は取れない?
仕事の関係で良く大学や研究機関の研究発表会を聞きに出かけました。それも日本のトップ水準の研究レベルを知りたかったので、東大や東工大、理化学研究所などの研究発表会でした。その中で感じたのが上記表題です。
あるとき東京大学医科学研究所の発表会に行きました。ここは東京大学とついていますが、国立大学の共同研究施設であり、東大の研究者ばかりでなく、他の国立大学で顕著な研究成果を上げた研究者も所属しています。ここの研究者の発表の特徴は、プレゼ資料に含まれるデータ量が豊富なことです。私はこんなに知っているのですよとアピールしているようでした。また、米国、欧州、日本の研究状況を紹介し、日本の第一人者は自分であることをアピールしているように思われました。豊富なデータを引用できるということは、相当研究が進んだ分野ということでもあります。
一方慶応大学医学部の記念講演会に参加したときのことですが、招待講演者だった京大医学部の教授(名前は忘れました)の講演は、全く対照的でした。まるで小学生の観察日記のように(言い過ぎですが)プレゼ資料はスカスカなのです。それは、細胞の発生に関する研究で、研究が緒についたばかりの領域でした。その教授は研究成果が注目されていた有名な教授でした。しかし内容的には、例えば、春先に水が張ってある田んぼに黒い玉が入った長いゼリー状のものがありました、その後その中からお玉杓子が生まれました、そしてお玉杓子から尻尾が取れカエルになりました、というような内容です。出席者からは、そのプレゼの内容を埋めるべく、仮説に基づく質問が出ますが、講演者の教授の答えは、「まだ実験で検証できてないから、分かりません。」という言葉ばかりでした。私は、有名な先生だから快刀乱麻な答えが聞けると予想していましたので、意外でした。ここで気付いたことは、この教授の研究領域は誰もやっていない分野なので、実験で自らが検証したことが事実の全てであり、それはほんのわずかしかないということでした。これは、知らないことはなにもない、知らないと答えることが恥ずかしい人には、耐えらない状態だと思います。
これが東大でノーベル賞があまり出ず、京大でノーベル賞を輩出する原因のような気がしました。即ち、何でも知っている、分かるということで自尊心を満足させてきた東大の秀才には、分からないという状態が長い間続く状態は耐えられないのではないでしょうか。逆に学力では東大に勝てないことを自覚している京大の研究者は、人がやらない分野を研究することによって、競争を回避し、先駆者になる道を選択しているように思えました。
秀才はノーベル賞(ここではノーベル医学生理学学賞)は取れないのではないでしょうか。
(追補)2018年10月1日、本庶佑先生がノーベル医学生理学賞を受賞されました。上記ブログと照らし合わせると、本庶先生が京大の研究者であることは合致しています。では本庶先生は秀才ではないのか、ということについては、上記ブログで言う秀才ではありません。上記ブログで言う秀才は、有名私立中高一貫進学校(開成、灘、ラ・サールなど)から東大に入学したような人です。この人たちの特徴は、多くの公式や解法を頭の中にインプットしていることです。この人たちは、話していて、コンピュータのように問題を処理していることが分かります。しかし、この頭の構造では、すでにデータがある事象については速く答えを見つけ出せるのですが、まだデータが存在しない事象については、太刀打ちできません。従って、ノーベル賞のように未知の発見や利用方法が評価される分野では活躍できません。日本のノーベル賞受賞者の大部分は公立高校出身者だと思います。それは、公立高校出身者で東大や京大などに進んだ人は、受験に必要な公式や解法を頭の中にインプットして合格したのではなく、自然と真理に近づく思考法を身に着けて合格しているからです。作られた秀才に対して自然に出来上がった天才と言えばよいのでしょうか。
私が本庶先生を知ったのは、15年以上前のことです。それは岩波新書か講談社新書(ブルーバックス?)を読んだときでした。遺伝子かたんぱく質について書いてある本でした。内容は、専門的なものなのですが、本当にやさしくかみ砕いて書いてあるのです。最初から最後までスーッと頭に入りました。大学の教授が書いた一般人向けの本の中には、助手や院生に書かせたのか生煮え感があるものが多いのですが、この本は、本庶先生が研究生活の中で辿り着いたエセンスを書いたもののように感じられました。これまでに読んだ本の中でも最高に凄いと思った筆致でした。ここから本庶先生に注目していました。それでも研究成果は余り注目されていませんでした。ノーベル賞候補になったのはオポジーボが発売されてからでこの4,5年のことではないでしょうか?
私がノーベル賞候補の日本人について予想するようになったのは20年くらい前からです。最初に注目したのは野依先生でした。ある年の秋、国から研究費を貰って研究した若手研究者の成果発表会に出席したときです。会の最初にこの発表会の座長として挨拶したのが野依先生でした。私は野依先生を全く知らなかったのですが、先ずその野太い声の堂々たる挨拶に驚かされました。いわゆるボスの風格がありました。次に、パンフレットの紹介欄を見て驚きました。次はノーベル賞しかないという国際的な賞をたくさん受賞していたからです。そこで直ぐ野依先生こそノーベル賞に一番近い日本人だと思いました。そしたら、翌年、野依先生はノーベル化学賞を受賞しました。これが癖になり毎年ノーベル賞を受賞しそうな日本人を予想するようになりました。私の中では、本庶先生には是非とって欲しかったので、今回の受賞はうれしい限りです。