冤罪の恐怖

バブルが崩壊し始めた1990年頃、会社の命令で大阪の会社に行くこととなりました。大阪には2年間いましたが、そこである事件に巻き込まれそうになりました。あるとき、私が住んでいる所(大阪市)の隣の区で、殺害された小学校低学年の女の子がビルとビルの隙間で発見されるという事件が起きました。大阪府警は、女の子が車にはねられて死亡した後捨てられたと考えており、先ず遺体発見現場の近辺に駐車している車を重点的に捜査するという報道でした。私が駐車場を借りていた場所が遺体発見現場からそう遠くなかったため、私のところにも捜査にくるかな、と思っていたところ、報道から1か月くらいして、大阪府警から会社に車を確認させて欲しいとの電話がありました。会社が終わってからでよいということだったので、6時頃に駐車場で待ち合わせることになりました。時期は夏頃でまだ十分明るい時間帯でした。刑事と制服警官が3,4名来ていて、私は車のドアのカギを開け、少し離れたところで待っていました。暫くして、刑事らしい人が近づいてきて、「車体の下の部分に汚れが綺麗に拭き取られたようになっている所がある。何か心当たりはあるか」と聞きます。私は、「えっつ」と声を出して、暫く考えましたが、全く心当たりがありませんでした。更に暫く思いを巡らして、半年くらい前に、神戸の阪急岡本駅近くのガード横の道路で、一時停止し前面道路を横切ろうとしたとき、左側の見通しの悪いカーブした道から2人乗りの単車が突っ込んできて、前進しようとしていた私の車の前部バンパー付近と衝突し、単車はそこで横倒しになったため、私の車のタイヤが横倒しになった単車に乗り上げる形になったことを思い出しました。そのことを刑事に話しましたが、半年くらい前のことであり、その際に私の車の車体下の汚れが拭かれたとは思えませんでした。その話を聞いた後、刑事は、「鑑識を呼び、詳しい調査をするので、もう少し付き合って欲しい」と言います。ほどなくして鑑識が到着したのですが、人数は10名以上で、荷台にクレーンを積んだトラックもあります。そのクレーンで私の車の前部を大きく吊り上げ、その前方から強力なサーチライトで照らします。その頃はもう暗くなっていたので、暗闇にクレーンで前部を吊り挙げられた車が浮き彫りになる異様な風景となりました。私は、鑑識が乗ってきたワンボックスカーの座席で待つよう言われ、その光景を眺めていましたが、だんだん不安な気持ちが大きなってきました。当時大阪府警では不祥事が相次でいましたので、大阪府警としてはこの事件で速やかに犯人を逮捕し、汚名を返上したいという気持ちが強いと思われました。そうなると、私が犯人にでっち上げられるのでは、という不安が湧いてきました。「こうやって冤罪はつくられるのか。やばいな。逮捕されたどうしよう。いろんな人に迷惑がかかるな。」と考えました。鑑識の時間がかかればかかるほど不安は大きくなります。車の前で首から筆記用の板をぶら下げて、鑑識員の言うことを盛んに書き留めていた職員と刑事が何か会話を交わした後、刑事がワンボックスカーにやってきました。「鑑識は終わりました。車体下の汚れが落ちたのはタイヤと接触したためのようです。ご協力有難うございました。もう帰って貰って結構です。」と言いました。それとともに、現場に居合わせた10数人の警察関係者は何事もなかったようにさっと引き揚げて行きました。この間2時間くらいだったと思いますが、私には何か夢の中の出来事のように思われました。翌日以降も本当にあったとは思えない不思議に現実感のない出来事でした。ただし、冤罪の恐怖は十分に味わいました。