空気を読む社会の行き詰まり

日本社会は空気を読めないとうまく生きていけない社会です。人が集まったら常にその集団の中でふさわしい行動や発言が求められます。そこでは自分の個性は差し置いて、長幼の序や社会的序列の尊重、あるいは中心人物を心地よくさせることが求められます。これって人間的に相当な技量がないと上手くできません。だから、日本社会で高い地位を占めている人は、空気を読む達人です。

しかし、この空気を読む社会は、大部分を占める空気を読むのがうまくない人たちにとっては、苦痛な社会です。まず集団の中に行くのが嫌になります。行かないと社会で孤立してしまいます。行っても別の自分を演じなければならないので苦痛で仕方ありません。このように日本の空気を読む社会が多くの人を息苦しくしていると思います。それは多くの人たちが分かっているにも関わらず、変えられません。

最近、森友事件で財務省のエリート局長が辞任しました。またその指示に従って不正を行った職員が懲戒処分を受けました。首相や財務大臣、事務次官などの上司の指示はなかったということですから、当事者が空気を読んでやった行為と言うことになります。この事件では忖度という言葉が使われいますが、その背後にあるのが空気を読む文化です。

そもそも公務員の仕事は、法律など明確なルールに乗っ取り行うものであり、空気を読むことから一番遠いところにあります。ついに空気を読むことが規範より上位に来てしまったようです。それは、民間企業のように実績が分かりにくい役所の仕事では、最高人事権者である役所の長に気に入られることが出世の近道であることが背景にあります。私も県や市の担当者と一緒に仕事をしたことがありますが、職員の目は県民や市民よりも知事や市長を見ているように感じました。

日本は、息苦しい社会だと思います。個性を殺し集団の中で目立たないように生きることが求められます。出る杭は打たれるなどの諺が社会生活でも通じます。しかし、これでは日本が立ち行かなくなることは確実です。今後の人口に減少、高齢化に伴い日本の活力は大きく低下するのは間違いありません。その中で、なお豊かな社会を維持するには、個人の才能や能力を解き放し、突き抜けた才能や能力を発揮する個人を増やす必要があります。日本の国民は、平均点は高いかもしれませんが、突き抜けた才能や能力を発揮する個人は少ないように思います。

韓国の女子プログルファーは、日本でももちろんアメリカでも大活躍しています。男子も日本より上です。男子のサッカーについても同じことが言えます。韓国は人口では日本の約半分程度なのに、個人の才能を世界で開花させています。ビジネスの世界でもサムスンなどのように日本の企業を凌駕する企業が多数出てきていますし、勤労者所得はもう日本を上回っていると思われます。韓国は個人の才能や能力を徹底的に伸ばすことにより成功している社会です。

こう見ると、日本の空気を読む社会は行き詰まり、個性を尊重し、個人の才能や能力を徹底的に伸ばす社会への転換が求められていると思います。