大阪は同化力、東京は止揚力

大阪と東京の違いに興味があります。共に日本を代表する大都市でありながら、相当違うのです。私は若い頃仕事で東京に10年間住んだ後、大阪に2年間住んだことがあります。分析力が必要な仕事をしていた関係で、この違いを明確化できないものかとずっと考えてきました。大阪に2年間住んだ後は東京に戻り、その後20年間住みましたので、大阪には違和感ばかりが残っています。

そこで今分析すると、大阪の特徴は同化力にあり、東京の特徴は止揚力にあると言えるのではないと思います。

大阪は同化力が特徴というのは、大阪には四国、中国、九州などからたくさんの若者が就職などで住み着きますが、数年後には見事に大阪弁(関西弁)になっています。関西弁は大阪弁が広がったもので、四国の一部まで関西弁です。このようにまるで伝染病のように広がっています。即ち、先ずは大阪に移り住んだ人を関西弁に同化し、文化も関西文化に染め、そしてその近隣エリアまで同化しています。また、大阪は1585年頃秀吉が大阪城を築城してから商都として大発展したわけですが、その頃からの気質を今も受け継いでいます。そういう意味で古い体質を持った都市です。

これに対して東京は、日本全国から若者が就職などで住み着き、言葉は東京弁になる点では、大阪と同じです。しかし、元々の東京の言葉は江戸弁で、東京弁は各地から集まってきた人たちの言葉が異なる不便さを克服するために、作り出されたものです。従って、誰も故郷の言葉という感覚はなく、無味乾燥なコミュニケーションのための言葉と言う感じがします。このように東京では、常に現状の不便さ・不合理さを修正する動きがあるように思います。ずっとそのままというものが少ないように思います。これは、ヘーゲル弁証法にいうところの止揚(aufheben)という概念に近いのではないでしょうか。

このように東京は常に止揚している都市なのに対して、大阪は常に外からやって来た人を同化してやまない都市であるとことに特徴があると思います。