存在しない読者層に記事を書いている新聞
最近新聞記事を読んでいると、ピント外れの記事に驚きます。東京医大問題がいい例です。
最初は文部省の幹部が「私立大学研究ブランディング事業」に採択されるように計らうことを条件に息子を入学させたことを、贈収賄事件とともに裏口入学を問題として取り上げました。しかし、私立大学の入学者選抜は大学の自主的な運用に任されており、裏口入学などというものは存在しないのです。私立大学では、学力試験以外の要素で入学させているのが大部分です。例えば、早稲田や慶応でも無試験の内部進学や指定校推薦、自己推薦、スポーツ推薦などで半分以上が入学します。これにより私立大学の経営は維持され、国立大学に対する独自性が発揮されているのです。なのに、新聞の取り上げ方は、学力試験以外の要素で合格=裏口入学、という短略的なものです。
さらにその後東京医大で、女子や多浪の受験者に対して得点操作を行っていたことが明るみに出た際には、まるで犯罪行為をやっているような書き方です。ある新聞などは、「東京地検も事実を把握し、関心を持っている。」などと刑事事件になるような書き方をしていました。
しかし、実体を見れば、これは単に選抜基準の運用の問題であり、この選抜基準が公表されていなかったことだけが問題であることは直ぐ分かることです。なぜなら、女子の合格者数を男子より少なく設定することは、医師になってから従事する医療行為の性格や医療現場のニーズから合理性があることです。また、多浪にハンディキャップを付けたのも、多浪は留年が多い、医師国家試験の合格率が悪いことなどの事実から、合理性があります。
従って、選抜基準そのものは何ら問題なく、問題はその選抜基準を募集要項に記載しておらず、知っていたなら受けない受験生に不利益を与えたことだけでした。
新聞がこの事実を整理して伝えなかったため、東京医大は社会的不正行為を行うとんでもない大学にされてしまいました。
これに対して、これらの問題点を整理して伝えたのはブログやSNSなどネットメディアです。みんな個人という存在でありながら、新聞より遥かに問題の本質を捉えて提示していました。
職業的専門家の記者が何故このような記事を書くようになったのか?それは新聞が架空のターゲットに向けて記事を発信しているからです。新聞は自己をマスメディアと位置付け、マス(国民の大多数)に対して記事を発信していると思っているのですが、そのマスが存在しないのです。もう既に小さな多数の階層に分化していることに気付いていないのです。新聞の記事を見ていると、公立学校の新米教師が、どの学力レベルの生徒を対象として授業をすべきかに悩んでいる姿とダブります。平均的生徒を対象とすべきか、それとも最も遅れている生徒を対象にすべきか、という悩みです。大体が平均的レベルの生徒を対象にすることになるようですが、新聞もこれと似て、どのレベルの読者を対象にして記事を書くかで悩んでいるように思えます。結局新聞も平均的な読者=数が一番多い読者を設定して、それを対象に記事を書くということになる結果、中途半端な表層的な記事になるのです。そこをネット記事で指摘され、ズタズタにされています。
そもそも平均的レベルの読者など存在しないのです。新聞は、存在しない読者に向けて記事を書いているのです。新聞はこのことに気付いて、実在する個人に向けて記事を書かないと存続が難しいものとなります。