ゴーン逮捕は本能寺の変
日産のカルロス・ゴーン会長(以下ゴーン)が逮捕された事件は、本能寺の変に似ています。本能寺の変は、天正10年(1582年)6月12日、京都の本能寺に滞在する織田信長(以下信長)を家臣の明智光秀(以下光秀)が襲撃し、自害に追い込んだ事件です。ゴーンを信長、日産の西川社長を光秀とすると、事件の背景がとてもよく似ていることに気付きます。
光秀が信長を襲撃した動機については、諸説ありますが、怨念説と野望説が有力です。怨念説は、(a)光秀は領地の近江と福知山から出雲・石見への国替えを言われていたことから、これを不満に思っていた、(b)光秀は、この事件の直前、信長が安土に招待した徳川家康の饗応役を突然解任され恥をかかされた、(c)光秀は、甲州征伐後、諏訪の酒宴の場で信長から殴打された、(d)丹波の矢上城攻めの際、光秀の母親を人質にして、城主の波多野秀治などを講和と言いくるめて信長の基に連れて行ったところ、信長は全員殺害したため、母親は矢上城で殺害された、ことなどから、光秀は信長を恨んでいたことが動機と考えています。野望説は、美濃の名門守護大名土岐(とき)一族である光秀は、いつか土岐一族再興を果たそうという野望を持っており、それを実現しようとしたものとしています。本能寺の変の少し前、光秀が愛宕山威徳院の連歌会で詠んだ「ときは今天が下知る五月かな」を「土岐一族である私が今こそ天下を収める時が来たのだ」の意味と解釈して、根拠の1つとしています。当時の有力武将は誰でも天下を取りたいという野望があったのは当然だということだと思います。
ゴーン事件を見ると、この事件が起きる前、日本国内の日産では、無資格者が完成車検査をしていたという不正が起きていました。一度ならず再度起きました(最近3度目も明らかになっています)。この事件において、ゴーンは西川社長の担当であるとして、1度も記者会見に出席しませんでした。確かに、ゴーンは当時社長の座を西川氏に譲り、日産およびルノーの会長職に専念していましたので、筋は通ります。また完成車検査制度も、海外では要求されていない日本国内の制度であり、ゴーンには「そんなこと知るか。日本人で対応しろ。」という気持ちもあったと思われます。西川社長が1回目の調査、改善策を実施した後、再度検査不正の存在が明らかになったことで、ゴーンは西川社長のマネジメント能力に疑問を持ち始めていたと思われます。米国の新聞では、ゴーンは西川社長解任を計画していたと報道されています。同時に、西川社長も、不正検査問題はゴーンが社長と会長を兼任しているときから始まったものであり、その責任をすべて自分に押し付けるゴーンに不満を持っていたと思われます。
こう言う状況で、西川社長にゴーン追い落としを決断させる出来事が起きました。それは、証券等取引監視委員会から、かねて何回か指摘していた有価証券報告書におけるゴーンの報酬の記載が虚偽との疑いが強まったので、このままでは検察に告発することになると通告されたことです。これを聞いた有価証券報告書の担当部署は慌てて、監査部門および監査部門を束ねる監査役に報告しました。監査役は、取締役のようにコミットメントを負っておらず、まさか自分が刑事や民事の責任を問われる立場になることは全く想定していませんので、大慌てです。そこで有価証券報告書の作成やデータ提供に関わり、法的社内的責任を問われることになるかも知れない関係者を集め、事実関係を調査するよう命じます。その結果、虚偽記載と言われても仕方ない事実があることを発見します。それも「これはちょっと酷い」という内容だったのです。この内容を持って西川社長に相談したものと思われます。その結果、西川社長も有価証券報告書虚偽記載の罪は免れないと判断します。しかし、ゴーンやケリーは、これまでこの事実を認めておらず、今回も認めないと思われました。そこで、監査役は、社内調査の結果を証券取引等監視委員会に報告し、対応を相談します。証券取引等監視委員会には検察からの出向者もいますので、検察と相談することになります。その結果、報酬隠蔽の方法が悪質であり、脱税や特別背任の容疑もあることから、検察が捜査に乗り出すこととなりました。検察には、長い間要望して今年6月から施行された司法取引制度をアピールする絶好の案件という別の狙いがあったと思われます。こうして、ゴーンが来日した日に空港の機内でゴーンを逮捕するシナリオ(陰謀)が出来上がりました。そして11月19日、ゴーンが日産の社用ジェットで羽田に到着したとき、東京地検特捜部によって逮捕されました(本能寺襲撃に相当)。このようにゴーン逮捕に至った推進者は日産の監査役であり、西川社長は監査役に突き上げられただけです。光秀が本能寺の変を決心したのも、有力な家臣(例えば斎藤利三、春日局の父)の突き上げがあったからかも知れません。
このようにゴーンと西川社長の関係は、信長と光秀の関係にそっくりであり、ゴーン事件は、本能寺の変に擬せられます。
今後のことも本能寺の変から予測できます。本能寺の変では、光秀は天下を取るために娘玉(細川ガラシャ)が嫡男忠興に嫁いでいた盟友丹後藩主細川藤孝や同じく縁戚関係にあった大和郡山藩主筒井順慶に応援を求めますが、2人は天下は光秀には来ないと判断して、応援しませんでした。織田家臣団では、豊臣秀吉や柴田勝家が強力であり、三河には信長と盟友関係にある徳川家康がおり、光秀が天下を取る可能性は低いと思われたのです。というより光秀は天下人の器ではないと見ていたものと思われます。
これを日産で見ると、西川社長=光秀が会長(CEO)になるかどうかと言うことになりますが、結論から言うと、光秀同様会長にはならないと思われます。なぜなら、西川社長は完成車検査不正続発の責任があるのは事実ですし、ゴーンの報酬問題についても、署名している書類もあると言います。それに、有価証券報告書の提出義務者は法人としての日産であり、日産も起訴されている以上、西川社長が何らの責任を負わないと言うことはあり得ません。西川社長は、ゴーン逮捕の捜査終了など区切りが良い時点で辞めることになると思います。
そうでない場合は、ルノーが株主総会で取締役に選任しないという形で解任すると思います。
では、次の日産の会長は誰になるのでしょうか?本能寺の変では、豊臣秀吉が中国大返しという離れ業を行い、天下を取りました。日産の場合、ルノーが株式の43%を保有しており、会長はルノーから派遣されることになると思います。日産の社内に、売上高12兆円弱の日産を経営できる日本人はいないということもあります。その場合、現在ルノーの暫定会長を務めている現ルノーCOOのボレロが日産会長も兼ねると考えるのが最も順当だと思われます。しかし、日本の日産以外の自動車メーカーにとって最も怖いのは、16年間ルノーに勤務した経験を持ち、現在トヨタ副社長を務めるティディエ・ルロワがルノー会長または日産会長に就任することです。ルノワは日本人のメンタリティも理解しており、トヨタ流の物造りやマネジメントも理解しています。ルロワはゴーンに欠けていた日本人を束ねる術を身に着けており、次のルノー・日産・三菱連合を率いるには最適の人物だと思われます。
次の最大の関心は、これが実現するか否かであり、実現すれば、ルノー・日産・三菱連合は、災いを転じて福となすことが出来ます。