光秀・家康・春日局を繋ぐ点と線(序)
私は昨年山岡荘八の「徳川家康」26巻を読破し、山岡荘八の歴史小説家としての凄さを知り、また徳川家康の人間性に興味を持ちました。そこで、続けて山岡荘八の「徳川家光」4巻も読むことにしました。その中で割とたくさん登場した春日局にも興味を持ちました。春日局は、徳川幕府第3代将軍徳川家光の乳母として有名ですが、その他に江戸城大奥の創設者で、江戸時代きっての女性政治家と言われています。よく知られているように春日局は、本能寺の変で織田信長を自害に追い込んだ明智光秀(以下光秀)の腹心で、実行責任者として京の六条河原に首を晒された斎藤利三(以下利三)の娘です。それが将軍跡継ぎの家光の乳母になったのも不思議でしたし、その後江戸時代きっての女性政治家になり、従二位の官位にまで上り詰めたのも不思議でした。こうなったのには因果関係があったはずで、利三とその娘福(後の春日局)を家光の乳母に決めたと言われる家康、そして福の間にきっと繋がりがあったはずと考えて調べてみました。利三についての資料は少なく、光秀が本能寺の変を決行した前後に利三に関する記述が登場することから、光秀の行動を追うことによって利三と家康の繋がりを追うこととしました。
調べた結果、次のことが分かりました。
・光秀は家康に感謝していた。
・利三と家康の直接的な繋がりは見つからなかった。
・信長は光秀を高く評価していた。
・光秀が本能寺の変の決行を決めたのは利三を守るため。
・信長は光秀を美濃国守にすることを考えていたかも知れない。
・福は利三との関係からではなく、元夫稲葉正成との関係からスカウトされた。
・福は将軍跡継ぎを生む任務を帯びて江戸城に入った。
・家光は福が生んだ子であり、否定する方が難しい。
・家康が家光を後継将軍に指名したのは、大坂の役で考えることがあったため。
「エッ!そんな馬鹿な」と思われる内容が含まれていると思いますが、読んで頂ければ十分あり得ることだと理解して頂けると思います。来週から全15回に渡り連載します(但し月~金)。
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