大学は理系に限る。文系は不要では?

兵庫県の灘高校は、おそらく日本屈指の勉強のできる高校生の集まりだと思いますが、例年90名以上の東大合格者数を出してきたのに、今年は74名に留まったと話題になりました。その原因を調べてみると、1学年約220名の内、理系コースが190名で、文系が29名に留まり、東大文系の受験者数が減ったからということです。最難関の東大理三(医学部)には、25名でダントツのトップ(2位が開成、筑駒で10名)ですので、レベルが落ちたわけではないし、後は医学部進学者が増加したことが原因だと考えられます。

文系の不人気は、今年の東大入試の合格平均などで、文系最高峰の文1(法学部)が文2(経済学部)に抜かれたことからも分かります。文2の人気が高まったというより、文1の人気が凋落したと言った方が当たっていると思います。東大法学部卒業者の有力な就職先である中央官庁の役人たちが次々と不祥事を引き起こしました。頭の良し悪しというより、モラルの欠如と思われる事例であり、法学部を出ても碌な人間にはならないということがはっきりしました。更に日産のカルロス・ゴーン逮捕を巡る東京地検特捜部の暴走が法曹界への失望に繋がったことが考えられます。東大に合格できるくらいの頭があれば、ゴーン事件が検察の暴走であることは分かります。

私も文系出身で、会社に就職して仕事をしてきましたが、最近、大学で文系に進む意味はあるのだろうか、と考えます。たくさんの既存の知識や言葉、観念を頭に詰め込んできただけのような気がします。コンピュータで言えば、頭をハードディスクとして活用してきた感じです。理系は頭をCPUとして活用している感じがします。そして何よりも感じることは、理系のように原子や分子レベルから裏付けられた知識や言葉、観念がないということです。従って、1つの知識や言葉、観念が状況によって違った使われ方をし、違った実体を指し、違った意味を持ちます。弁護士が犯罪者も弁護するような使われ方が多いのです。頭に確固たるもの、不変のものがないのです。

そんな文系出身者からはイノベーションは生まれません。イノベーションはいつも理系出身者からです。即ち、世の中を変えられるのは理系出身者です。最近プログラミングの勉強をしていますが、プログラミングでは、ソースコードでアルファベット1つ間違えるとエラーになります。理系では当たり前のことですが、同じことを言うにもたくさんの表現方法があり、言葉の自由度が大きかった文系人からすると、新鮮な驚きです。理系の場合、実体と言葉や観念が1対1に対応し、それらを組み立てて行けば同じ結論になることで、安心感があります。その逆に文系の世界では、言葉や観念の自由度が大きすぎ、同じものを共有できない不安があるように思います。

私が今高校生以下の人に大学進学を進めるなら理系です。正直文系は進学する意味が無いとも思います。理系に進学していれば、文系出身者のやることは文系出身者以上のレベルでできます。迷っていたら、理系に進学すべきです。