もうリクルートスーツの時代ではない
大学3年、4年になり就職活動を始めると、殆どの学生が紺または黒のリクルートスーツに身を固めます。それまでジーンズにTシャツで、安いながら個性的な服装をしていた人が一斉に同じような服装に変身します。何かそうしないといけないと法律ででも決まっているかのようです。そういう私も同じでした。就職活動をする学生の決まりの服装だと思っていました。と言っても、服装は自由で良いと言われたら、何を着るか、どういう服装をするかで困ったと思います。そう考えると、普段スーツを着る機会がない学生には、好都合の習慣と考えられます。
中学校、高校でも、殆どの学校が男子は黒い学生服、女子は紺の制服ですが、これは、家庭の経済格差が出ないようにすることと、自由な服装により風紀が乱れることを防ぐためだと思われます。学校は勉強するところであり、おしゃれを競うところではないという訳です。しかし、私立の歴史ある中高一貫進学校では、中学から服装自由のところもあります。だからと言って、服装で問題が起きたと言う話は聞きません。むしろ、個性の確立や自己責任の養成に役立っている感じがします。彼らを見ると、これが本来のあり方だなと言う気がします。
そういう観点から、大学生のリクルートスーツを見ると違和感があります。何故就職活動では同じ服装をするのか?これは、会社の採用担当者から服装でマイナスの評価をされたくない、服装で落ちたということにはなりたくない、という心理の表れのような気がします。確かに1990年頃までは、学生の就職率は90%台であり、就職できない人が不思議なくらいでした。何か大きな欠陥でもなければ誰でも就職できました。従って、みんなと違ったことをしてマイナスの評価になるのを防ごうとする気になるのは仕方ないことだったと思います。
時代は変わって、実質的に就職協定が廃止され、大学に入学したら毎日が就職活動と言ってもよいような時代になりました。その中で企業は、より能力のある人、個性的な人、即ち人と違う人を採用するようになります。そうなると、人と同じであることは、マイナスとなります。もちろん、能力や才能で人と違うものを持っていることが重要ですが、それらは服装にも出るものです。自分なりの服装が出来ない人に仕事ができる人はいないと思います。服装には、その人の分析力や判断力、社会性が現れます。従って、自分なりの服装が出来ない人は、分析力や判断力、社会性がない人とは言いませんが、低い人とは言えます。大学を卒業する時期になってそうだとすれば、今後改善される見込みは少ないと言えます。即ち、会社で伸びる見込みは少ないということです。
このように考える企業が一般的になると思います。学生の皆さんは、リクルートスーツから脱却し、服装についても自分のスタイルを確立する必要があります。