国立文系は文理融合に活路を求めるべき

最近大学の文系学部無用論が盛んになっています。これまでも言われることはあったのですが、最近の特徴として文系学部出身者が言うことが多くなっているように思います。それも40歳を超え、それなりに出世している人です。会社務めの期間が長くなり、振り返ってみたとき、何か足りないものを感じるのだと思います。

文系の中心学部と言えば法学部と経済学部ですが、法学としては人が作った法律の解釈や運用の学問であり、全く創造性がありません。悪法も法なりと悪法がのさばっていても、それに従順に従うよう洗脳されます。いうなれば法理の囚人になるようなものです。その結果、東大法学部という文系最高学府を出て中央官庁の官僚になった連中が次々と不祥事をやらかしています。財務省の元理財局長など文書改ざんにまで手を染めました。東京地検特捜部など司法取引制度を使ってみたいあまり刑事事件ではない問題に介入し、日産のゴーン元会長を逮捕しました。法学が如何に無意味な学問かを良く示しています。

その点経済学部の方が会社で役に立つ知識や技術が身に付くと思います。その代表が会計学でしょうか。これがないと企業活動はできませんから、会社で偉くなるためには必須の知識と言えます。従って、これを学生時代に身に着けることは会社に入った時点で有利な立場にあることになります。しかし、これも所詮決めごとを覚えることが学問の中心であり、一旦学んでしまうと退屈です。やはり無から有を作る、有から新しい有を作るようなことをやりたくなります。それが法学部や経済学部にはないのです。ただし、この2つの学部を比較すれば経済学部が法学部より遥かに有益です。法学は人の創造性を奪う学問です。

文系学部の学生は企業や官庁に就職することが多いですが、企業や官庁で成功するために最も重要なものは、人との交際術です。仕事は必ず相手がいますから、その相手と良い関係を築くことが大切になります。その為には相手を常にいい気分にさせること、悪い気分にさせないことが大切です。会社ではその技術を身に着けている人が成功します。従って、就職のために大学で学ぶとすれば、処世術が一番です。その為にはゴルフやマージャン、競馬、スポーツなど誰とでも仲良くやれる趣味や技術を身に着けるのが一番です。法律や会計の知識をいくら身に付けても処世術が無ければ、成功することは不可能です。

この処世術の養成と言う点では、国立大学文系よりも私立大学文系が有利です。入学試験も国立文系が5教科7科目に対して、私立文系は3教科3科目です。私立文系の3教科3科目というのは、会社で必要な読み書き能力を見るものです。要するに会社では国語と英語ができればよいということです。それよりも社交性や処世術が重要ということです。この点で5教科7科目にエネルギーを投入し、勉強ができることが重要と言う認識に凝り固まった国立文系の学生は不利です。社交性がなく、要領が悪い人になってしまっているのです。この点で明らかに私立文系に劣ります。

最近文系不要論が言われ始め、文理の壁を取り払うべきとの声も上がり始めた中で、国立文系には新たな道が見え始めたように思います。それは文理融合型学部への転換です。幸いにも国立大文系は5教科7科目型の入試を行っている大学が多いと思います。文系なのに数学があって、理科の選択科目があります。要するに国立大学の場合、理系と文系の垣根は割と低いのです。大学に入って理系科目を勉強しなくなったことから、文系人間になっただけです。理系科目に取り組めば理系人間になることも可能なのです。文系に進んだのは、数学が余り好きでなかったからだと思われますが、生物や化学は理系の人に負けないくらいできる人も多いと思われます。そこで国立大学文系は、4年間で文理科目を半々学ぶこととします。理系科目としては、コンピュータプログラミング、統計処理などに必要な数学、遺伝子処理などの生物学、薬や毒物などに関する化学などを学びます。文系科目は、会計や会社法など目指す分野の専門科目です。そして弁護士や会計士などの士業に就く場合は、専門大学院に進学します。これでは中途半端な人材ができそうですが、そこから興味があることを勉強していけば専門家になれます。文理融合型学部出身の理系研究者も生まれますし、弁護士や会計士でもこれまでと違った人材が生まれるはずです。こちらの方が魅力的な人間ができ、人生の幅が広がります。