最高裁は司法村の村議会?
ネットに「最高裁は法学部の学生よりもレベルが低い」戒告処分の“ブリーフ裁判官”が最高裁判所を批判、との記事がありました。この裁判官は戒告処分を受けているため、素直に読めない部分がありますが、共感できる部分もあります。
最高裁の存在価値を示すのは違憲判決になりますが、最近違憲判決を出したことがありません。近いところで最高裁が最も注目されたのは、2017年12月の放送法が定めるNHK受信料制度についての判決です。これは、最初小法廷で審議していたものを大法廷に回付したため、違憲判決をあり得るのではないかと思われました。それを危惧した法務省は最高裁宛に法務大臣意見書を提出し、違憲判決を出さないよう要望しました。このことは法務省も放送法の定めるNHK受信料制度は問題がある制度だと思っていたことを示します。
しかし、判決はというと、違憲を主張する裁判官は1人もおらず、全員合憲と言う判断でした。小法廷から大法廷に回付したのだから、それを決めた小法廷の裁判官くらいは違憲の判断を示すだろうと予想していたので、驚きでした。大法廷に回付した意味が分かりません。
放送法が定めるNHK受信料制度は、2つの点で問題を含んでいます。1つは、放送の受信機器を設置したら、NHKと受信契約を結ばなければならいと定めていることです。法律の根本法理として、契約は両当事者の意志の合致で成立するということがあります。結婚も両性の合意のみに基づき成立すると憲法に明記されています。これに反し個人の意志が制約されるのは、公共の福祉のために必要な場合だけです。では放送法の定める受信契約の強制が公共の福祉のために許されるかというと、それは許されません。NHKは公共放送として国民全員で支える必要があることは認めますが、それは受信契約を強制しなくとも実現できるからです。一番は公共放送負担金という税を徴収し、NHKの運営費に充てればよいのです。そうすれば、個人の意志に反し受信料契約を結ばせるという拷問的行為をしなくて済みます。それにNHKの放送内容を見れば分かりますが、公共放送として国民共通に必要な内容は2割もありません。あとは民間放送と同じような内容です。即ち、NHKは公共放送と称していますが実体は公共放送部門を持つ巨大は民間放送会社なのです。NHKは民間放送部門の運営費も受信料で徴収しているのです。この実体を見れば、放送法が定める受信料制度が違憲性を持つのは自明のことです。
2つ目の問題点は、NHK受信料の支払い義務を受信契約に基づくものと構成していることから、受信料は各世帯の所得に関係なく同額となっていることです。生活保護世帯などは支払いが免除されていますが、生活保護世帯以下の生活をしていながら生活保護を申請せずに生活している多くの世帯が受信料の支払いを強制されています。この世帯は全世帯の約20%程度を想定され、NHK受信料の不払い率約18%とほぼ一致します。NHK受信料の不払い問題を取り上げる場合、よく払っている人との公平の問題として取り上げていますが、実際は本来徴収してはいけない人に受信契約を強制している所に問題があるのです。これは憲法が定める健康で文化的な生活をする権利を侵害していると考えらえます。
以上のように考えられることから、NHK受信料について定める放送法は、違憲という判断が出てもおかしくない状況でした。だからマスコミなど多くの関心が集まったのです。しかし、最高裁は違憲とは言えないと判断しました。その論拠とするとことは、公共方法の運営費を国民に求めることは合理性があり、その方法を定める放送法の内容は立法府の裁量に委ねられており、今の放送法はこの裁量の範囲を逸脱しているとは判断できない、ということでした。即ち、放送法の規定は問題なしとは言えないけれど、不払い率は約18%にとどまり82%の世帯が支払っているのであるから、最高裁が違憲と判断するレベルには達していないということです。多分、不払い率が40%を超えていれば結果は同じでも反対意見が見られるなど違った状態になっていたと思われます。
最高裁のこの合憲判決は最初に結論ありでした。それは、もし違憲判決を出したら受信料の徴収が困難となり、NHKが成り立たなくなることが予想されていたからです。最高裁の15名の判事のうち誰も違憲判断を示さず、立法府に見直しを求める意見さえ述べなかったのも、このことが大きいと思われます。いわゆる事情判決です。法務大臣の意見書も実質は現実への配慮を求めるものであり、事情判決を求めたものです。法理論的には違憲と判断されてもおかしくないという判断が背景にあります。
この最高裁の姿勢と対極をなすのが韓国大法院の徴用工判決です。現在日韓の外交上の大問題になっている徴用工問題について韓国政府は、1965年の日韓請求権協定で解決済みの問題であり、韓国大法院は徴用工の日本企業への賠償請求を認めないようにと働きかけてきましたが、2018年10月これらの圧力を跳ね返し、徴用工の日本企業に対する請求権は消滅していないと判断しました。その結果、日本政府は怒り、韓国政府は困り果てたのです。本来なら、韓国政府は日韓請求権協定に基づき日本政府から受け取った賠償金の一部で徴用工に補償を行い、この問題を解決しておかなければならなかったのです。これをしなかったことから、徴用工は賠償を受けていないとして徴用した日本企業に賠償を求めているのです。韓国大法院としては、賠償請求を受けても日本企業は日本政府の指示で支払わず、結局韓国政府が何らかの補償を行うこととなると読んだのではないでしょうか。韓国大法院としては徴用工が補償を受けられれば支払先はどこでもよいのです。司法の独立の観点からみれば見上げた姿勢だと思われます。これがもし徴用工が日本人で、日本で徴用した韓国企業に賠償請求したとすれば、日本の最高裁は、この問題は日韓請求権協定により外交的に処理済みであり、韓国企業に対する賠償請求権は消滅している、日本政府に対する補償請求権は存在する、と判決したと考えられます。
このように日本の最高裁は、現状の安定を重視し、余程のことが無い限り現状を破壊する違憲判決は出しません。その結果、最高裁の判決により社会が良くなる効果は期待できません。即ち、日本の最高裁は、司法の独立の観念が薄く行政府・立法府に従属していると考えられます。違憲判決を出したら法務省や所轄官庁を中心とした政府、および当該法律を成立させた国会と激しい対立が生じます。最高裁のメンバーは長官も含めわずか15名であり、多勢に無勢です。従って、違憲判決を出すためには、最高裁の判事に強靭な体力と精神力が必要となります。今の最高裁判事の構成を見ると、60歳後半が主力であり、いずれも司法や行政、学会の第一線を引退した方々であり、違憲判決を出すための前提を欠くと思われます。日本の最高裁は、司法村の村議会のような存在と考えられます。