「ポピュリズム」という言葉の軽薄さ
参議院選が終わりました。自民党と公明党で過半数を獲得した点では、何も変わらない結果になった訳で、平凡な選挙だったと言えます。しかし、自民党が改選前から9議席減らし、単独過半数を失った点では、自民党が思い通りの政権運営をできなくなった訳で、大きな変化が起きた選挙であったと言えます。こういう中で、選挙後の話題は、れいわ新選組が比例で2議席獲得し、NHKから国民を守る党(N国党)が同じく比例で1議席獲得したことです。
この結果を受けて、新聞や雑誌、ネット上には、「ポピュリズム」という言葉が乱舞しています。曰く「ポピュリズム元年」「政治のポピュリズム化」「ポピュリズム政治の危うさ」「左派ポピュリズム」などの言葉が見られます。僅か1、2議席だとポピュラーとは言えない訳で、概ね何も変わらなかったのだから、ポピュリズム現象は起きていません。なのに、これだけポピュリズムという言葉が乱舞する方が異常です。
そもそもこのポピュリズムという言葉は何を意味しているのか不明です。なんとなく人気取り現象を言っていることは分かります。ポピュリズムという言葉で表したい具体的内容が分からないのです。たぶん使っている本人が分かっていないか、分かろうとしていないから、使っていると思われます。選挙の結果が自分が期待していたことと違っていて、気に食わない現象を指してポピュリズムと表現しているように感じられます。
こういう言葉は文系出身者が使うことが多く、理系出身者はまず使いません。理系出身者が書くテレビやパソコン、スマホなどの取扱い説明書や特許明細書などは具体的に書くことが要求されますから、ポピュリズムのような曖昧模糊とした言葉は禁忌です。まず使うことはないし、使ったら理系失格と見なされます。社会科学でも原則は同じで社会科学に携わる人は、如何に具体的に現象を語れるか、記述できるかでその能力が評価されます。ポピュリズムというような抽象的な言葉を使った時点で、社会科学分野の専門家としてはその能力に疑問符が付くと思われます。
新聞や雑誌、ネットでポピュリズムという言葉を見たら、読む価値なしと考えて間違いありません。何の有益な知見も与えないし、読んだ人を納得させることもありません。言葉の表現者を自負するのなら、ポピュリズムと言う言葉は使わずに、一般の言葉でその意味する内容を具体的に描き出す必要があります。