空海ってどんな人?(序)
数年間毎年京都を中心に関西に行って、お寺回りをしました。別にお寺が好きだったわけではないのですが、関西には余りにたくさんのお寺があったことから、行けるだけ行ってみようと考えたものです。暇つぶしですが、数が多くなると達成感が得られます。
京都、奈良、滋賀の寺は、歴史の教科書に出て来る古い寺が多く、こんな環境に住んでいる大学受験生は、日本史では受験できないようにすべきと思ったものです。有名な寺と言う点では京都と奈良が多いのですが、有名なお坊さんという点では、高野山の空海と比叡山の最澄ではないかと思います。空海は最近映画にもなっていますし、本もたくさん書かれています。能筆でも有名ですし、満濃池を改修したというお坊さんらしくない話も残っています。そして空海が作り上げた高野山の町にも驚かされました。標高800mの山頂に3,000人くらいの人が住む町があるとは、行かないと実感できないと思います。
一方最澄については、面白い話題はなく、比叡山も寺ばかりで民家がなく、高野山とは全く趣が異なります。しかし、法然、親鸞、日蓮、栄西、道元などが比叡山で学び、新しい仏教の宗派を開いていることは驚きです。まるで仏教の学校のようなのです。
ここから、空海と最澄に興味を持ち、少しずつ仏教の本を齧り始めましたが、どうも前に進みません。これでは空海と最澄を理解するのは無理だなと思っていたところ、この夏2つの空海の本に出会いました。1つは、「眠れないほど面白い空海の生涯」(由良弥生)であり、もう1つは「空海の風景」(司馬遼太郎)です。由良弥生氏の本は昨年「眠れないほど面白い古事記」を読んでおり、興味がなくても読み始めれば引きずり込まれる書き方は秀逸です。やはりこの空海本も期待に反しない出来栄えでした。この本が無ければ、今回この空海の原稿を書くことはなかったと思います。この原稿の多くは、この本に依拠しており、要約版とも言えるものです。そし司馬遼太郎氏の本は資料の調査分析が秀逸と言われており、事実関係を検証するのに有益でした。
従って、この原稿は偏に2つの本の成果を拝借したものであり、独創性は殆どありません。主な目的は自分の知識の整理ですが、空海に多少興味がある人が空海を理解する助けにはなると思います。以下の内容を10日間に渡り連載します。
- 生い立ち
- 当時の仏教
- 空白の12年間
- 遣唐使として唐へ
- 大日経・金剛頂経・理趣経
- 帰国へ
- 都に入れず
- 空海と嵯峨天皇
- 空海と最澄
- 高野山開創