ゴーン脱出劇は加藤清正正室の大坂脱出劇に似ている
元日産会長で東京地検特捜部に逮捕・起訴され保釈の身であったゴーン被告(以下ゴーン)が12月31日レバノンに到着したという報道です。そこでその脱出方法が注目を集めています。当初ゴーンはパスポートを弁護士に預け全く所持していなかったと言う話でしたが、フランスパスポート2通の内1通は在留外国人としての身元確認用に所持していたようです。ただし、そのパスポートは強固なケースに入れられ、ケースには鍵が掛けられ、鍵は弁護士事務所が保管していたようです。そのためこのパスポートは日本からの出国用には使えなかったようです。例えケースから取り出したとしても出国の際に提示すれば出国停止になるようになっていたようです。従って、パスポートを使った正規の出国でない可能性が高まりました。
これについてレバノンでは、プロの脱出させ屋グループがクリスマスディナーの音楽隊を装ってゴーン氏の自宅に入り、ゴーン氏を楽器輸送用のケ箱に入れて連れ出し、プライベートジェットに運び込んだと報道されました。しかし、東京地検がゴーン自宅の監視カメラの映像を確認したところ12月29日の午後ゴーンが一人で外出するところが映っており、この話の信憑性が怪しくなりました。一方米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は3日、ゴーンは脱出する際、音響機器の搬送に使われる大型の黒い箱の中に隠れ、これを米国の警備業者の2人組が連れ出した(持ち出した)と報道しています。従って、どうも箱の中に隠れて荷物としてプライベートジェットに乗り込んだようです。
この話を聞いて、慶長5年(1600年)にあった加藤清正正室清浄院の大坂脱出劇を思い出しました。それは以下のような脱出劇です。
慶長5年(1600年)7月、石田三成は、会津の上杉景勝討伐に出かけた徳川家康を撃つため大坂で兵を挙げます。そして、家康軍に参加した大名の大坂在住の妻子を人質として大坂城に収容しようとします。肥後にいた加藤清正は、この時点ではどちらに就くか明らかにしていませんでしたが、正室清浄院も大坂在住で、収容される可能性がありました。このとき、家康軍に参加していた細川忠興の正室細川ガラシャが収容を拒否し、自害し屋敷に火を放ちます。これで三成軍は、強引な収容を控えますが、対象大名の屋敷は、厳しい監視下に置きます。「続撰清正記」によると、清正は、清浄院を救出すべく水軍奉行梶原助兵衛を大坂に派遣します。助兵衛は、肥後藩大阪屋敷留守居役大木土佐守と相談し、少し手の込んだ脱出作戦を実行します。先ず、助兵衛が流行り病を装い、毎日籠で医者通いを始めます。伝染病だと言って夜具をすっぽり被るなどして籠を膨らませます。監視の侍は、最初は本人や籠の中身など厳しく検(あらた)めますが、暫くすると籠を見ると何の検めもせず通すようになります。その時点を見計らい、籠の中に助兵衛の夜具に包み込むように清浄院を乗せ、監視を突破します。無事木津川の船乗り場に着き、肥後藩の安宅船に乗り込んでも、途中いくつかの船番所があり、三成軍の監視の者が船に乗り移り臨検するので、これを切り抜ける必要があります。そこで助兵衛は、飲み水をためておく大型の桶を二重底にし、下に空洞部分を設け、そこに清浄院を隠し無事切り抜けます。大阪湾に出ればこの日のために鍛えていた漕ぎ手衆が一気に漕ぎ出し、九州を目指します。こうして清浄院は無事肥後で待つ加藤清正の元に帰ることが出来ました。
ゴーンが隠れたと言われる楽器箱もこのときの水桶と同じような二重底になっていた可能性があります。現代の飛行機を使った脱出劇が約400年前の脱出劇に似た方法が使われたとすれば、歴史は繰り返す、です。
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