日本停滞の原因は「しょうがない」にある?

日本の停滞が深刻です。1人当たりGDPで見ると世界26位で中流国の順位ですし、28位の韓国や34位の台湾に抜かれる日も近いと思われます。

それとともにゴーン事件を見ると知的レベルの停滞も著しいと思われます。ゴーンは貰っていない報酬、または将来貰えると確定していない報酬を有価証券報告書に記載しなかったとして東京地検特捜部(以下特捜部)に逮捕されました。しかし、これは有価証券報告書に記載すべき報酬ではなく、不当逮捕です。また、約18億円の損失を抱えた個人的な通貨スワップ契約を日産に付け替えたとして特別背任罪で再逮捕されました。これは取締役の善管注意義務違反にはなっても、特別背任罪の要件である損失が日産に発生していないため、刑事罰である特別背任罪は成立しません。従って、これも不当逮捕であることは明確です。この2つが不成立なら、あとの2つの特別背任容疑もでっち上げの可能性が大きくなります。

これに対して日本人の8割は特捜部の逮捕は正しいと思っていると言われています。確かに新聞やネットの書き込みを見るとそんな感じです。自分らでは賢い民族と思っている日本人がどうもそうではないようです。ゴーン事件から言えることは、日本人の多くは自分で考えて判断せず、判断は御上に委ねていることです。そしてマスコミは、御上の発表は正しいとばかりに報道します。この結果、世の中では御上の判断が正しいものの地位を獲得します。御上(特捜部)が必ずしも正しくないことは、特捜部であれば証拠を改ざんした村木事件や、官邸の意向を受けて逮捕・起訴しなかった森友文書改ざん事件などから見れば分かります。にもかかわらず、日本人の多くが御上の判断を請け売りしています。まるで第二次世界大戦中に大本営発表を信じていた日本国民と同じ状況です。

最初に経済の停滞を取り上げ、その後にゴーン事件を取り上げたのは、この2つは同根だと気付いたからです。2018年9月、イニエスタやポドルスキーなど世界的に有名な選手を補強したサッカーのビッセル神戸は、監督にスペイン人ファン・マヌエル・リージョを招聘しました。監督としての実績は余りなかったようですが、バルセロナやバイエルンなどの監督を歴任し今イギリスのマンチェスター・シティの監督を務めるジョゼップ・グアルディオラが「最も影響を受けた指導者の1人」に挙げているということで、有名でした。

どれほど凄いのだろうと監督就任後のチームの成績を注目していたら、順位は上がらず期待外れでした。しかし、さすがに評判の指導者だけのことはあると思わせる出来事がありました。就任後2ヶ月経った彼のインタビュー記事を読んだら、日本人選手の「しょうがないという言葉には考えさせられた。」と述べていたのです。リージョはこの「しょうがない」という言葉が神戸の日本人選手の成長を阻害していると感じたようです。進歩は壁に当たってからの努力で決まります。しかし、日本人の場合壁に当たると「しょうがない」と早々に諦める人が多いのです。これでは進歩は限られます。まだ2か月程度しか指導していない中で、かつまだ余り日本語も分からない中で、「しょうがない」という日本語を聞き取り、日本人の特質と位置付けたのは凄い観察眼です。

私は、この「しょうがない」という言葉が日本の停滞の根本にあるような気がします。この言葉が科学技術や産業、社会全体のブレークスルーを阻害しているように思います。ブレークする寸前で諦めてしまうのでスルーがないのです。この結果、社会は停滞することになります。

もちろん地震や自然災害の前では、「しょうがない」の観念は有益です。しかし、これがその後の防備を疎かにすることにも繋がっていると思います。例えば、台風で屋根を吹き飛ばされ、ブルーシートで覆う羽目になっても、また木造瓦葺の家屋を建てている人が目立ちます。ブレークスルーがあればコンクリート住宅に行き着くのではないでしょうか。台風が多い沖縄を見ればコンクリート住宅が多いですし、瓦でもコンクリートで固定しています。このように日本人の「しょうがい」の観念が、究極的対策に向かわなくしています。

「しょうがいない」という言葉、その背景にある諦めの姿勢が日本の経済や知性の停滞の原因だと思われます。