「おもてなし」が日本人を疲弊させる

ライブドアニュースを見ていたら、「おもてなしが日本を滅ぼす」という記事が目に留まりました。私は以前「おもてなしはご利益の無いお題目」(2018年7月10日)というブログを書いているので、興味を惹かれました。この記事の内容は、日本では対価に見合わないサービスが提供されており、これを対価に見合ったサービスに改めて行かないと、生産性向上=賃金上昇は実現しない、ということでした。

例として、海外の航空会社ではエコノミークラスとビジネスクラスでは月とスッポンほど扱いが違う、極端な例ではエコノミークラスに乗る人は荷物扱いのところもある、しかし、日本ではビジネスクラスもエコノミークラスも同じく大切なお客様として扱っている、日本のスーパーでは、商品が有る場所を聞けばたいていの従業員は知っているが、海外では持ち場しか知らないのが普通、などを上げています。ようするに生産性の高い海外では、サービス提供者が対価に見合ったサービスに徹しており、相手もそれしか期待していない、一方日本では、サービスと対価が不釣り合いなものが多く、これが余計なコストを掛けさせ、生産性を引き下げているというのです。今後政府は現在の時間当たり最低賃金を今年の全国平均約901円から1,000円以上に引き上げることを計画していますが、それを成功させるためには生産性の向上が不可欠であり、対価に見合ったサービスに改めて行く必要があると主張しています。

ということで「おもてなし」との関係は殆ど述べられていないのですが、言わんとすることは、「おもてなし」という言葉は、誰に対しても至上のサービスを提供することを宣言するものであり、対価に見合わないサービスの提供を約束している、この結果対価に見合わないサービスが横行し、生産性を引き下げている、ということだと思われます。

私もこれは正しい指摘だと思います。サービス提供者も労働者であり、対価に見合わないサービスを求めることは不条理です。また最高のサービスを提供できる従業員は限られており、その従業員が最高のサービスを提供できる時間も限られています。「おもてなし」はこの事実を無視して誰に対しても常に最高のサービスを提供することを求めているようです。

これでは日本人(労働者、従業員)は疲弊してしまいます。

「おもてなし」の問題点は、マニュアルがないことです。「おもてなし」の内容が具体化されておらず、その意味するところは個人個人で違います。その結果、高度なサービス技術を身に付けた管理者は、従業員に自分ができるのと同等のサービスの提供を以て「おもてなし」がなされていると判断しますから、従業員は常に高い要求に晒されることになります。それでもそれに見合う収入があれば耐えられますが、そうでないなら割に合いません。このように「おもてなし」は本来経営者や管理者が具体的にすべき仕事の内容を曖昧なままにし、その分従業員に過度な精神的負担を負わせることになっています。

この結果、「おもてなしは日本を滅ぼす」とは言いませんが、「日本人を疲弊させる」ことになると思います。日本の生産性が低いのは、業務の標準化、マニュアル化の不足にあると思います。