森法務大臣が証明する受験回数制限の妥当性

森法務大臣が安倍内閣の問題児になっているようです。現在検察庁法改正案を審議中(取り下げ)の衆議院内閣委員会には法案の対象官庁の担当大臣でありながら暫く出席しませんでした。これは一括提案されている国家公務員法が内閣府の所管であり、武田良太大臣が担当だからという表向きの理由となっていますが、実際は政府が森大臣の失言を恐れてのことと言われています。確かに就任以来森大臣は失言を繰り返しています。

先ずは2020年1月9日、逃亡したゴーン被告のレバノンでの記者会見を受けて、「潔白というのならば、司法の場で正々堂々と無罪を証明すべき」と発言し、被告人は無罪の推定を受け、起訴した検察官が有罪を証明しなければならないという刑事裁判の基本原則を逸脱した発言をし、日本の弁護士の評価を暴落させています。

また黒川検事長の定年延長に関して、「検察庁法には検察官の定年は63歳と書いてあるけれど、国家公務員法にはこれを延長することができると規定されているから、国家公務員法の規定によった」と説明しました。法律の知識がある人なら、この説明がおかしいことは直ぐ分かります。検察庁法は、国家公務員法の特別法であり、検察庁法の規定が優先することは自明だからです。弁護士資格者として基礎の基礎が疑われる答弁をしているのです。

またこれに関連して、検察官の定年延長ができるよう法解釈を変更した理由を国会で質問された際、これを社会情勢の変化と述べ、その例として「東日本大震災で検察官が容疑者を釈放して最初に逃げた」と発言し、物議を呼びました。脈絡も良く分かりませんが、検察担当の大臣が部下である検察官を貶める発言をしたのですから、野党ばかりでなく、与党や政府も驚きでした。これは後日不適切とだったとして撤回し、安倍首相から厳重注意処分となりました。森法相がこのような検察官を貶める発言をしたのは、法務大臣就任以来検察幹部と対立が続いているためだと考えられます。その証拠に黒川検事長の定年延長の決裁は森法務大臣の口頭決裁とされ、書面による決裁(決裁書)が存在しないのです。これだけ重要な決裁を口頭で済ますことは公務員の世界ではありえません。これは書面の決裁となると法務省内の稟議となり、森大臣の決裁前に検事総長など幹部の承認(判断表明)・押印が必要となりますが、これが得られなったものと考えられます。こんな違法なことを法律を熟知した検察幹部が承認・押印して書面に証拠を残すはずがありません。それで1人口頭決裁とするしかなかったものと思われます。ここから森大臣と検察官の対立はエスカレートして行ったものと思われます。

そもそも森氏を法務大臣にしたことが間違いだったのです。同じ法曹資格を持ちながら、法務省の検察幹部は東大法学部卒で司法修習所を優秀な成績で終了したエリートです。一方森大臣は、東北大卒ながら司法試験に5回目に合格したいわば劣等生です。検察幹部からしたら「バカ」の類です。これが大臣として検察幹部の上に来て違法なことをやらせようとするのですから、上手く行くはずがありません。更に森大臣には、検察が捜査している河井案里議員・克行議員の捜査に圧力を掛ける役割もあると警戒されていました。こんな中で森法務大臣としては虐められているという感じだったと思います。この不満が思わず国会での検察官を貶める発言となって表れたものと思われます。

このような失言をしないように周りからも注意され、本人も自覚していたため、出席した内閣員会ではまるでwebのbot(ユーザーの質問に対して決まった言葉を返す対話プログラム)のように「真摯に」「丁寧に」という言葉を繰り返すばかりだったと言います。

私は、森法務大臣の発言を聞いていると、司法試験の受験回数が5回に制限されていることが妥当に思えてきます。やはり1、2回の受験で合格する人がいる中で、合格まで5回もかかったということは、能力・学力的に向いていないということだと思われます。弁護士の場合、実際に取り扱う事件に全く同じものはないので、1回目の理解力が勝負となります。何回も考えないと理解できないという人は務まりません。そのため受験回数を5回までに制限しているのだとしたら、理解できます。森大臣の場合5回目に合格しており、弁護士にはあまり向いていなかったことになります。こう考えると司法試験の受験制限も合理性があることになります。この点から言えば、医学部の入試で受験回数に制限(多浪制限)を設けるのも合理性があるということになります。少なくともこれを調査する第三者委員会の弁護士が多浪制限を不当と非難するのはおかしいということになります。