壱岐と対馬は福岡市がよいのでは?
「壱岐と対馬は何県?」と聞いたら、高校生の半分は福岡県と答えるのではないでしょうか?正解は長崎県です。地図上では福岡県の北にあり、福岡市から壱岐までの距離は約68㎞、対馬までは138㎞とのことです。唐津市から壱岐までは41㎞と福岡市からよりも近いので、ひっかけ問題で福岡県ではないと考えて佐賀県と答える人は何人かいるかも知れません。それでも長崎県からは遥かに遠く、地図上からは長崎県という答えは出てきません。
壱岐と対馬がなぜ長崎県になったかと言うと、明治の廃藩置県に原因があるようです。江戸時代対馬には対馬藩が置かれ、朝鮮との窓口を務めていました。壱岐は平戸藩の管轄下にあったようです。従って壱岐が長崎県なのはこの影響のようです。対馬が長崎県になるまでは紆余曲折があったようです。1871年の廃藩置県の際最初対馬は伊万里県に編入されます。それは対馬藩が今の佐賀県の鳥栖や基山、浜崎当たりに飛び地を持っていたからのようです。その後伊万里県が佐賀県という県名になります。その後佐賀県が三瀦(みずま)県(筑後地方を管轄する県)に編入されます。そして1876年に三瀦県が佐賀地方と筑後地方に分割され、佐賀地方は長崎県に、筑後地方は福岡県となります。この結果、佐賀県に属していた対馬は長崎県の管轄となったようです。
このようにして壱岐と対馬は、人の交流や経済的・文化的繋がりは福岡県(福岡市)ながら、行政管轄は長崎県と言うおかしな位置付けにあるようです。福岡市には何度も行っているけれど長崎市には一度も行ったことがない住民も多く、壱岐と対馬では何回か長崎県から福岡県への転県運動があったようです。
私は福岡市の立場から壱岐と対馬、とりわけ対馬は福岡市に属した方がよいと思います。それは、対馬は韓国の釜山と約50㎞の距離にあり、釜山との交流が深いからです。福岡市は韓国に最も近い日本の大都市であり、釜山との間には高速船やフェリー、航空路があり、一般市民レベルでの交流が盛んです。現在は日韓関係の悪化から、福岡市に来る韓国人は少ないですが、悪化する前は町中に韓国人が溢れていました。街中の案内板は日本語・英語・韓国語となっているくらいです。これは福岡市の1つの特徴であり、強みだと思います。福岡市は韓国とは繋がっている町です。対馬が福岡市に属することとなれば、福岡市は釜山と50㎞の距離となります。そうなれば、福岡市民と釜山市民が対馬で繋がることになります。先ずは対馬に両市民の交流施設や交流オフィスを作り、それからお互いに福岡市、釜山市に交流を広げて行きます。そして福岡市と釜山市が一体となったビジネスや文化の交流圏を作り上げます。福岡・釜山経済文化圏の形成です。福岡県(福岡市)への転県運動は、対馬単独では成就しないと思いますが、福岡県や福岡市から働きかければ実現できると思われます。