数学は言語、国語・英語・数語が3大言語

大学文系には数学は必要ないような大学教育になっていますが、これは間違いです。文系人にも数学は不可欠です。それは社会に出れば分かります。数字と出会わない日はありません。人の決断の多くは数字に基づいています。例えば、大学受験だって大部分の受験生は、偏差値に基づいて決めています。就職だって、会社の給与や売上高、利益によって決めている人が多いと思います。公務員の魅力である安定性も数字に基づくものです。結婚だって、年齢や相手の収入が重要な決断要素なっています。このように人は数字によって重要な意思決定をしています。文系人にとって重要と言われる日本語や英語は、意思決定ではあまり重要な役割は果たしていません。意思決定において重要となる数字を補助するくらいの役割くらしかありません。多分数字があれば、日本語は全くなくても意思決定はできると思われます。

このように人生において意思決定を行う核心要素は数字であるにも関わらず、大学文系進学者は、大学に入って、というより高校で大学文系に進学することを決めたときから、数学と疎遠となります。確かに社会に出ても高校で習う数学がそのまま役に立つ場面は多くありませんが、数学的素養があれば決断の質が違ってくるのは間違いありません。確率や統計の知識は、有能なビジネスマンや経営者には必須の知識ですし、一般人でも社会生活の中で得をします。もしあなたが自分は決断力が無いと思っているとしたら、数字に弱く、決断の基準を見つけられないからかも知れません。数学的にはある数字になれば、ある結論になるものですから、迷いようがありません。一方日本語や英語のような言葉だと、実体と1対1に対応している言葉の他、間違った実体を指している言葉、また抽象的観念を表す言葉が多数ありますから、自分自身言葉が表す実体が良く分かっていないことが多々あります。ましてや相手に自分が捉えている実体を正確に伝えることはなかなか困難です。それでも社会生活の大部分は成り立ちますが、訴訟などのトラブルになるのはそういう曖昧さが原因です。従って、数学的思考力があれば、曖昧さを排除でき、社会生活のトラブルも減らせることになります。

このように数字は、社会で重要な役割を果たしており、数字を扱う数学や数学的思考力は重要な地位を占めています。従って、文系学生はこのことを認識し、数学を国語や英語と同列に扱う必要があります。具体的には、大学の授業の中で統計や確率、コンピュータプログラムの授業などを受講することが考えられます。

最近の文系学生には、国語の他に英語が話せることが必須という認識が定着してきましたが、更に数語が必要であるという認識が必用です。