いつの時代でも国の基本は殖産興業・富国政策

1867年の大政奉還により、1603年に徳川家康が江戸幕府を開いてから265年続いた江戸時代が終焉を迎え、翌年から明治の新しい時代が始まります。明治政府が力を入れたのは、江戸時代を終焉に追い込んだ西洋列強に追い付くための殖産興業、それに基づく富国強兵政策でした。明治政府は、西洋から技術者を迎え入れ、鉄道の敷設、電力網の整備、官営の造船所や製鉄所の開設、鉱山や製糸・紡績工場の近代化などを推し進めました。それは国を豊かにして強い軍隊を持たないと、西洋列強から侵略され植民にされる可能性が高かったからです。その結果日本は短期間で近代工業国家となりました。豊かになった分は強兵作りに充てられたため、国民の生活はそれ程豊かにはならなかったように思われます。しかし、その結果アジアの大部分の国が西洋列強の植民地なる中で日本は独立国家の地位を保つことができました。一方民主主義が根付かない中で強兵部分が突出し、2度の世界大戦を経験します。特に第2次世界大戦は、欧州ではドイツが、アジアでは日本が中心となったものであり、強兵政策の行き過ぎが原因でした。しかし、ある程度の強兵政策がなければ日本は西洋列強の植民地なっていた可能性が高く、明治政府が採った政策は間違いではなかったと思われます。

そして、第二次世界大戦が終了した1945年から、日本政府はまた新しい殖産興業・富国政策を始めます。それは明治時代のように西洋列強から進んだ技術を取り入れ、新しい産業を起こすやり方ではなく、ある程度まで西洋列強に近づいていた戦前の産業を復興するというやり方でした。従って必要なのは新しい技術よりも復興資金でした。日本はこの復興資金を米国のガリオア基金やエロア基金からの無償支援や有償支援、世界銀行からの融資などで獲得します。そして奇跡とも言われる復興と発展を遂げます。これがピークを打ったのが1990年頃だと思われます。戦後復興によって工業を発展させた日本は、工業製品の輸出により外貨を稼ぎます。その外貨が国内で円貨に転換され、国内の円貨の流通量が増大しました。それが不動産や株式に向かいバブルを引き起こしたのです。そして1991年以降バルブが崩壊し、経済の縮小が始まります。これを欧米のように一気に処理すればよかったのですが、成り行きに任せたため、処理が終わるのに約20年を要しました。その間に日本の工業力は韓国や中国に抜かれ、今では並みの水準となってしまいました。この間日本の政府は医療費や年金などへの公費の投を増大させいますので、国の歳出は膨らみます。それを消費税の導入や引上げ、その他の国民負担の増大などで賄ってきたため、国民の可処分所得は減少し、消費の衰退を招きました。

2012年12月に生まれた安倍政権は、大胆な金融緩和政策を採り、流通通貨量の増大とそれによる金利の低下により国内消費を刺激し、デフレに陥っていた日本経済に緩やかなインフレを起こそうとします。当初狙いは的中し、株式や不動産投資が活発化し、消費者物価が2%近い上昇を示します。しかし、それはイノベーションによる新製品の開発や新しいサービスの誕生によってもたらされたものではなく、単にお金の流通量の増加によってもたらされたものでした。そのため、一種のバブルの様相を呈し、やがて萎み始めます。それが昨年来の現象です。安倍政権誕生時には金融緩和を含めアベノミクスという言葉が使われ、新産業や新サービスの創造が重要な政策となっていたのですが、この部分にはアイデアがなく欠落していました。

現在コロナが猛威を振るい、国民は日々の生活で精一杯で、日本経済の先行きなど考える余裕はありません。また安倍首相は健康不安説がささやかれ、巣ごもり状態です。このような中で日本経済の再建は、安倍首相の早期退陣と次の首相に期待することになります。

これまでの日本の歴史を見れば、誰が首相になろうと日本経済を再建するためには、明治政府と同じく、殖産興業・富国政策を採るしかありません。特に今後人口が減少し高齢化が進む日本では、内需主導型の経済再建などありえません。明治以降日本経済が成長し、日本が豊かになったのは、輸出の増加が原因です。また海外を見ても輸出割合が高いドイツ、韓国はGDPを伸ばしていますし、輸出の絶対額が大きい中国の経済は巨大化しています。やはり日本が再び豊かになるには、現在GDPの約16%(ドイツ・韓国は40%台)に過ぎない輸出の割合を増やすしかありません。いつの時代も国の基本は殖産興業・富国政策です。