菅官房長官への禅譲は8月初めに決まっていた

安倍首相が8月28日に辞任を表明し、関心は次の首相に移りましたが、あっと言う間に菅官房長官に決定したようです。菅官房長官も翌日から有力者を訪問し、立候補の意思と支援を要請していますので、心の準備は出来ていたことが伺えます。安倍首相は、辞任の意思は28日に決めたと言っており、その日の閣議の後麻生副総理と会っていますので、辞任の最終決断はその通りだと思われます。しかし、その前から甘利自民党税調会長や麻生副総理などが安倍首相には休養が必要と言っていますので、体調不良の事実と辞任の可能性は伝えられていたと思われます。これに対して、甘利会長や麻生副総理が必死に止めにかかっていたのでしょう。

その中で菅官房長官には、8月に入り安倍首相から辞任の意思が伝えられ、次の首相になって安倍政権の課題を引き継いで欲しいと依頼されたと考えられます。それは、その頃以降菅官房長官の態度が一変したことから分かります。安倍首相と菅官房長官の関係は、今年の初め頃から隙間風が吹いていると言われて来ました。それは、昨年の9月の内閣改造で菅官房長官の推薦で大臣にした菅原一秀経済産業大臣や河井克行法務大臣が選挙違反の容疑で相次いで辞任したこと、菅官房長官が黒川東京高検検事長の定年延長を検察庁法の解釈変更という強引な方法で行い世間の反発を引き起こしたこと、昨年9月の内閣改造後安倍首相が今井首相秘書官を補佐官に昇格させたことから、今井補佐官の発言力が強まりその結果菅官房長官が遠ざけられたこと、が原因と思われます。安倍首相と菅官房長官の間が上手く行っていないことは、テレビ画面を通じても伺えました。菅官房長官の記者会見に熱が無くなっていましたし、どこか投げやりな態度が見られました。

これが8月に入り一変しました。記者会見ではエネルギーに満ち溢れてきましたし、安倍首相の健康不安についても懸命に打ち消そうとしました。それよりも変化がはっきり分かったのは、相次いでテレビ番組に出演したことです。先ずは8月15日、BS日テレの深層ニュースに出演しました。その後8月21日には突然テレビ朝日の報道ステーションに出演します。報道ステーションは安倍政権への批判が多い番組であり、言うなれば安倍政権の天敵です。従って選挙や重要な決定があった場合に安倍首相が出ることはあっても、これらが無い中で安倍首相を差し置いて官房長官が出演するということは考えられませんでした。なのに突然菅官房長官が出演したことから、何か異変があったことが感じられました。話の内容も「安倍首相は」とか「安倍政権としては」とか言いながら、菅官房長官の意見を述べているように感じられました。司会者から「次の首相になるお考えは」と聞かれ、「全くありません」ときっぱり答えましたが、私には「もちろんある」と言っているように聞こえました。

私のブログは先読みをモットーにしているので、この段階で菅官房長官は安倍首相から禅譲の指名を受けていると書こうと思いましたが、安倍首相が8月24日に再び慶大病院を訪れたことから、病状は深刻ではないのではと逆読みしてしまいました。

9月4日共同通信は、安倍首相は8月28日辞任を決断した後菅官房長官を後継首相に指名していたと報道しましたが、これは明らかに間違いです。安倍首相は8月17日に報道陣衆知の中で慶大病院に検査に行っており、これは病気が深刻であることを社会に知らせ、病気による辞任の環境作りに着手したと考えれます。菅官房長官は8月15日にはBS日テレの深層ニュースに出演し、露出の強化を図っていますから、15日以前には確実に安倍首相から辞任の意思を告げられ後継首相の指名を受けていたと考えられます。少しやる気をなくしていたように感じられた菅官房長官の記者会見での態度が変わったのは8月に入ってからであり、早ければ8月初めには後継首相に指名されていたと考えられます。そうだとすれば、菅官房長官は8月初めから首相就任に向けた準備を始めており、首相就任に向け準備は万端です。