学術会議問題、委員多過ぎと文系学者は不要ということ

日本学術会議から推薦があった105名の委員候補のうち6名を政府が任命しなったことから、大騒ぎになっています。大騒ぎといっても、騒いでいるのは学者とマスコミと野党だけです。その他の生活者には無縁の騒ぎのように感じます。その他の生活者にとっては、コロナ問題や携帯料金値下げの方に関心があります。

この委員の任命権は首相にあるようなので、誰を任命するかは首相に委ねられていることになります。しかしこれまでは日本学術会議が推薦した通りに任命してきたことから、この任命は形式的なもので拒否権はないという主張もあるようです。その例として天皇の国事行為を挙げている人もいますが、これとは全く別物だと思います。天皇は国民統合の象徴として一切の政治的責任を負わないことになっていますから、その行為が形式的になるのは当然のことです。しかし首相の場合、すべての政治的責任を負う立場にありますから、任命が形式的ということはあり得ません。例えば、委員に任命した学者が学術会議の資金を横領したり、薬物で逮捕されたら、野党は首相の任命責任を追及していたと思われます。

今回の問題を整理すると、政府は学術会議に対して、2つの問題意識を持っていたと考えられます。1つは100人を超える委員数は多すぎるということです。そこで今回105人の推薦を6人削って99人にしたものと考えられます。そしてもう一つは、文系委員の必要性に疑問を持っていたということです。だから削った6名が全員文系の学者だったと思われます。そしてこの6名の人選については深く考えていないと思われます。そんなに政府が毛嫌いしていない人も含まれています。たぶん事務局の文系官僚が比較的名前を知っていた文系の学者が選ばれたのでしょう。大学でも文系学者のポストは減っていますから、時代の趨勢に合わせただけとも言えます。

この6名の任命拒否によって学者から反発が出ることは、政府としては覚悟の上だったと思われます。政府の狙いは、これによって学術会議の実態や問題点が浮き彫りになり、見直しに繋がることだったと思われます。事実そうなっていますから狙い通りと言えます。

これに対して学者や文化人が反発の声を上げていますが、罵詈雑言や中傷が多く、学者や文化人の評価を落としています。「菅義偉首相の教養レベルが図らずも露見した」と言った学者知事がいましたが、あれで「やっぱり学者は問題がある」と思った人は多いと思います。これでは最終的に多くの国民の支持は得られません。結局学者の社会性の無さが浮き彫りになり、戦略性の無さと相俟って学術会議は抜本的に見直されることとなると思われます。