安倍前首相の「雉も鳴かずば撃たれまい」
かねてから疑惑が指摘されていた「桜を見る会」に絡んだ安倍事務所の公職選挙法違反または政治資金規正法違反容疑の捜査が進んでいるようです。安倍事務所関係者が約900万円のパーティ費補填を認めているようですから、起訴は間違いないと思われます。本件は安倍政権で汚れ役をやらされ、黒川東京高検検事長辞職という犠牲まで払わされた検察が一矢を報いようとしている場面でもあります。
それと同時に、最近になって活動を活発化させ、菅政権の政策決定に影響を及ぼすような発言を強めていた安倍前首相へ菅政権が放った警告でもあると思われます。安倍首相は9月16日に首相を辞任してから暫く大人しくしていましたが、11月頃から活動を活発化しています。先ず前政権で重用したお友達を集めて懇談するなど、仲間の再結集の動きを見せていました。その後憲法改正やミサイル防衛問題などに関する発言を行い、ついには解散時期についても発言しています(「私なら来年の補正予算成立後解散する」)。どうも菅首相が口では安倍政権の承継と言いながら独自の道を歩み始めたことが気に入らないようです。しかしこれは菅政権にとっては迷惑極まりないことであり、いつまでも首相の気分でいられても困ります。首相時代に安倍首相に関する疑惑のもみ消しに当たった菅首相はじめ残った官邸幹部は安倍元首相に関する疑惑の証拠を豊富に持っています。今回のホテル料金補填の事実も把握していたはずです。今回の捜査は弁護士・学者などの告発に基づいて検察が捜査に着手したものと考えられますが、官邸は一切タッチしない姿勢だと思われます。
前の権力者と後継者とのこのような相克は、権力交代の場合にはよく見られることです。例えば、1632年肥後藩加藤家は改易となり豊前小倉藩の細川忠利が藩主となりましたが、細川忠利は肥後藩創始者加藤清正の位牌を持ち熊本城に入城し清正に敬意を表しましたが、その後は清正の菩提寺本妙寺への保護を弱めるなど清正の影響力を消しにかかっています。そうでないと領国を統治できないためで、領主交代の場合例外なく行われています。自民党政権でも5年の任期一杯努めて余力を残して退任した中曽根元首相や小泉元首相は退任後表立った活動や発言は殆どしませんでした。安倍首相の態度はこれらと対照的です。まるで使用人(菅官房長官)を首相にしてあげたのに、なぜ自分が指示した通りにやらないと立腹しているようです。今回の報道には官邸も関わっていると思われ、菅政権から安倍前首相に対して、今の立場をわきまえないとこれでは済まないよという警告のように思えます。
今回の報道に接して頭に浮かんだ言葉が「雉も鳴かずば撃たれまい」でした。この諺の由来は次のような昔話だということです。面白いと思ったので要約を以下に紹介します。
「昔今の長野市犀川の久米路橋のほとりに、お菊と言う貧しい農家の娘が住んでいました。お菊は9歳のときの正月近くのある日、大病になってしまいました。お菊は高熱の中で「赤まんま(赤飯)、赤まんま・・」と父親にねだりました。当時小豆は貴重で普通の農家にはありませんでした。そこで意を決した父親は名主の家に盗みに入り、お菊に赤まんまを食べさせました。春になって役人が小豆泥棒を捕まえるために村にやってきました。役人たちはお菊が毬を突きながら「トントンおらちじゃ赤飯食べたぞ!トントン」と歌っているのを聞き、小豆を盗んだのはお菊の父親だと気付きました。そのため父親は捕まってしまいました。暫くして父親は村に戻ってきましたが、泥棒をしたという悪評が残りました。ある年大雨が続き村の橋が何度も流されたことから、水神様の怒りを鎮めるために人柱を立てることになり、小豆泥棒をしたお菊の父親が人柱となることに決まりました。
お菊はショックのあまりその後口を利かなくなってしまいました。ある日お菊が橋のたもとに座っていると、一声雉が鳴き、すかさず鉄砲の音がして、撃たれた雉がお菊の頭上にバタバタと落ちてきました。お菊は落ちてきた雉を抱き、久しぶりに口を開いて、「かわいそうに・・。お前も甲高い声で鳴いたりしなければ撃たれることもなかったのに。私もひとこと余計なことを言ったばっかりに父を殺してしまった。」と言いました。その後お菊は村で見かけなくなったということです。」