「麒麟が来る」の麒麟とは光秀のこと?

日曜夜のNHK大河「麒麟が来る」もあと1回を残すのみとなりました。私はこれまでこの番組を1回もまともに見たことがありませんでしたが、31日初めて通して見ました(録画して早送りで)。私はこのブログの固定ページに載せている「明智光秀・徳川家康・春日局を繋ぐ点と線」というレポートを書くため、明智光秀と関係人物については相当詳しく調べました。その結果、本能寺の変の前後に起きた事件については良く知っている方だと思います。「麒麟が来る」も本能寺の変をエンディングにして盛り上げる構成になっており、ほぼ私が調査した内容と重なります。そのためか「麒麟が来る」の放映回数が増えるにつれ、このレポートを読みに来る方も増加しています。

調査した者から見ると事実と言えるのは歴史的出来事だけであり、テレビの登場人物の会話は全て創作です。従って会話で成り立っているテレビの「麒麟が来る」はほぼ創作劇のように感じます。それでチャンネルを合わせても見続けることが出来ませんでした。

私の「麒麟が来る」の情報は殆どがネットの記事から仕入れています。記事を読めば場面を想像でき、事実か創作かも分かります。全貌を知っているだけにこれでも楽しいです。

この放送が始まったときからこれまでずっと考えて来て未だ分からないことは、「麒麟が来る」の麒麟とは何?誰?ということです。麒麟とは平和の使者(象徴)のことで、この物語は明智光秀が主人公ですから、麒麟とは明智光秀以外にないと思われます。しかし光秀は本能寺で主君を殺害するという卑怯な行為をしていますし、その後秀吉に敗れるという滑稽な役回りとなっています。とても平和の使者である麒麟に重ねられる最後ではありません。

私の調査では、光秀が信長を討つ決心をしたのは、信長から家臣の家老斎藤利三を美濃の稲葉一鉄の元に返せと命じられ、それに抵抗したところ、怒った信長が「ならば利三は切腹だ」と言い出した事件が原因だと思われます。これはその場にいた猪子兵助が仲裁し、取消になったようですが、最高指揮官の命令を聞かなかった光秀は解職されてもおかしくない状態でした。しかし光秀は秀吉支援のために備中高松城に立つことになっており、信長としてもここで解職はできません。それでこの件はうやむやのまま終わったものと思われます。大将はそれでも良いですが、大将を怒らせた光秀はそうは行きません。いずれ信長から処分されるという思いに捕らわれたと思われます。それを利三ら家老連中と相談した結果、いずれ解職されるだろうから、ならば本能寺で信長を討とうとなったと考えられます。

光秀が信長から重臣利三を切腹させよと命じられた状況は、家康が信長から息子信康を切腹させよと命じられた状況と似ています(信長は命じていないという説もあります)。テレビでは光秀と家康がこの件につき語り合い、光秀が信長にこの件につき意見する場面がありましたが、これは脚本家の創作と考えられます。これを創作したということは、脚本家には光秀と家康が繋がっていたという想定があると考えられます。光秀が家康に好意を持つようなったのは、信長軍が信濃・甲斐遠征の帰り家康領を通った際に、家康は道中に宿泊所や休憩所を設けるなど至れり尽くせりの歓待をしましたが、光秀の宿泊所を信長の近くに置くなど光秀を喜ばせる扱いをしています。このため信長は安土帰還後家康を安土に招待した際、招待の責任者に光秀を命じています。そして光秀も家康を喜ばせるべくこの準備に尽力したことが伺えます。そして家康が安土に到着後信長主催で家康歓迎の3日間の宴会が開催されますが、その2日目(5月16日)の夜に突然光秀は信長から明日から秀吉支援に向かう準備をするよう命じられます。これは備中高松城を水攻めにしていた秀吉軍が5万を超える毛利軍に対峙され劣勢に陥ったからでしたが、この状況を光秀は知る由もなく、家康招待行事が終わる5月20日まで待って欲しいと懇願したと思われます(テレビでは翌日までとなっていました)。この夜信長が激怒し光秀を殴打したとの話もありますので(テレビでは料理にいちゃもんをつけて殴っていました)、信長は秀吉から支援を求める書状を何通も受取っており、いら立っていたと考えられます。これで光秀が信長を討つと考えるのは短絡的過ぎますので、本能寺の変が起きる6月2日までに光秀は信長に安土城に呼ばれ、信長が利三に切腹を命じる事件が発生したと考えられます。「麒麟が来る」の脚本家はこれをもって光秀を信長から信康切腹を命じられた家康と重ねたのでしょう。そして光秀が信長を討ったことによって、本能寺の変から21年後の1603年に家康が江戸幕府を開くことになります。もし本能寺の変がなければ織田政権が長期間続いていたことが予想されますので、江戸幕府はできなかったと考えられます。そういう点では265年続く平和な江戸時代を招来したのは光秀であり、光秀は麒麟であったというのが脚本家の意図ではないでしょうか。