鍛えるべきは正解力より選択力
学校と社会では求められる能力が相当異なっています。学校(ここまでは高校)で求められるのは正解を出す正解力であり、社会で求められるのは選択力です。学校では正解をたくさん出せる生徒が優秀とされ、正解が出せる順番に偏差値で振り分けられて大学に進みます。その頂点が東大です。しかし社会では正解がない問題が多く、その中で選択が求められます。ここで受験秀才たちが躓いて行きます。即ち答がある問題を解く訓練は受けていても、答の無い問題に直面した際に選択をする訓練は受けていないのです。そのため正解がない問題は、自分が取り組む対象ではないとみなす人が出てきます。それでは仕事にならないので、そんな人は多くないのですが、学校で正解のない問題で何かを選択する訓練を受けていないため選択力が劣り、その結果実行力も劣ることになります。そのため東大卒でも会社で出世しない人がたくさん出てきます。このように会社では確実に正解力より選択力のある人が評価されます。
例えばおしゃれに優れた人がいますが、これは小さときから服装について自分で選択を重ねてきたためです。その点小さいときから勉強一筋でおしゃれには全く興味がなかった子供は、大人になってもおしゃれのセンスは0です。たまにおしゃれな服装をしている中年男性がいたら、それは奥さんがコーディネートしていることが多いように思われます。おしゃれ1つとっても小さいときから自分で選択する訓練が重要であることが分かります。これは結婚についても言えます。小さいときから正解を出すことに注力した人は、結婚でも正解を求めようとします。その結果自分との相性、フィーリングではなく、ロジックで結婚相手を求めることになります。それでは相手の共感が得られず結婚できません。結婚が早い人は好きとか嫌いとか自分に根差した基準で選択する訓練をしてきた人たちです。社会人になったら正解力を磨いてきた人よりも選択力を磨いてきた人が成功しているように思われます。勿論選択にはぎりぎりまで正解を追い求める態度が重要であり、正解力が著しく劣る人は成功しません。しかしある程度の正解力があれば、あとはどれを選択しても効果はそう変わらず、むしろ結果を左右するのは選択のスピードであったり、実行力になります。そう考えると、子供の教育は選択力を磨くことを最大の目的に設定し、そのための前段階として正解力を磨くという風に考える必要があります。そんな学校が求められているような気がします。