大谷選手には空海が入っている!

6月24日、大谷選手のエンジェルスは今日からレイズ戦です。今日もホームラン打ってくれないかなと思っていたら、何と第一打席で打ちました!飛距離138mのライトドーム天井キャットウォーク直撃弾のようです。ネットで見ましたが、打球が早くてどこに行ったのか分かりませんでした。中継局のアナウンサーが「まるでテレビゲームだ!」と言ったようですが、その通りだと思います。

大谷選手についてはメジャーリーグの一流選手が「あいつは別の生き物。才能に溢れている。」と言っていますから、世界的なタレント集団であるメジャーリーグにおいても一つ抜けた存在であることは間違いありません。大谷選手がここまでになったのは天賦の才に恵まれていたことが一番の原因であることは間違いありませんが、もう1つあるとすれば大谷選手が花巻東高校野球部に入学後書くことになった「曼荼羅チャート」が挙げられます。これは同部の佐々木監督の方針に基づくもので、野球部内では「目標達成シート」と呼ばれていたようです。シートのフォームが仏教で使われる曼荼羅に倣っていることから、ビジネス教育の専門家の間では「曼荼羅チャート」と呼ばれています。「目標達成シート」は主に会社において事業年度の始めに社員全員に書かせ、目標達成の設計図としています。佐々木監督も会社員時代に書いていて、これを野球部に持ち込んだものと思われます。しかし「曼荼羅チャート」とは仏教の曼荼羅に倣ったもので宗教色があることから、これを使っている会社は少ないと思われますし、学校でも仏教系以外では抵抗が大きいと思われます。その中で大谷選手が使うようになったことは奇遇と言えます。

私も大谷選手が高校時代にテレビで「目標達成シート」を公開したときに見ましたが、これは有効だと思いました。それは私も会社で書いていてその有効性を十分に知っていたからです。しかしそのときは、あの「目標達成シート」が「曼荼羅チャート」とは知りませんでした。それが分かり「曼荼羅チャート」が今の大谷選手を創ったのではないか、と考え始めたのは最近のことです。それは2019年に空海について調べ、このブログの固定ページに「空海ってどんな人?」という読み物をアップしたことが契機となっています。

私は宗教に関心がなく、葬式・法事で仏教に接するくらいでしたが、会社を退職後暇に任せ京都のお寺回りをしました。100以上のお寺を回りました。その中で興味を持ったのが比叡山を開いた最澄と高野山を開いた空海でした。比叡山からは鎌倉時代に浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗などの新しい仏教の宗派が生まれました。その歴史はまるで新仏教の産院のようで、今はその抜け殻のように寺院群が残っています。一方高野山から新しい宗教は生まれず、空海が中国から持ち帰った密教である真言宗がずっと続き、今なお宗教都市が繁栄しています。

比叡山と高野山の今には最澄と空海の人生が投影されています。最澄は天台宗から始めて、密教、禅宗など他宗教の良いところを取り入れ、仏教の統合を図ろうとしています。それを学んだ弟子たちが分派するのは宿命と言えます。一方空海はエリート官僚養成校(大学寮)に入りながら、規範・道徳を中心とした教育に飽き足らず、精神世界に興味が向かいます。そんなとき山にこもり修行を行うことによって常人とは異なる特殊な技能を獲得しようとする山岳修行(修験道)に出会います。山岳修行は、膨大な仏典を読むことが求められる修行僧にも流行っていたようです。空海はその後山岳修行に打ち込んだようで、大学寮を退学後10年以上の間どこで何をしていたのか分かっていません。そんな中で空海が特殊能力を獲得(覚醒)した場面として、四国の室戸岬付近の海に面した洞窟で修行をしていたある日、突然目くるめくような音と光とともに明星が東の空に姿を現し、空海に向かって飛んできて、空海は明星の光に包まれる体験したと伝えられています。そのとき獲得した特殊能力は、虚空蔵求聞持法と言われるもので、例えば仏典ならば1ページを目で見た瞬間に内容を理解してしまう能力のようです。今で言えば画像センサーで撮影した映像からAIが目的物を瞬時に解析する感じだと思われます。空海はあらゆる書体を書き名蹟を真似られたと言われていますので、書物の内容を一瞬に読み解くばかりでなく書体まで認識し、それを忠実に再現できたようです。スーパーマン空海が誕生した瞬間と言えます。これはあながちデタラメとは言えず、ノーベル賞受賞者が研究が行き詰まっていたとき、無関係なことをした瞬間にアイデアが閃いたという話と重なります。空海もそれまで虚空蔵求聞持法を求めてすさまじい修行をしてきたことが伺えます。

空海はその後遣唐使に応募し運良く採用され、唐では文才や書の能力が評価されますし、密教の指導者恵果からは「待ち人来る」と歓迎され、密教の奥義を口述伝授され最高指導者の地位を譲られます。恵果は、空海の理解の速さから自分より遥かに才能があると判断したようです。

これにより空海は日本に帰りますが、密教は災厄を振り払い、鎮護国家の霊験があるとして皇族に重宝されます。特に嵯峨天皇は書が得意で、空海の書の能力を評価していたこともあり、空海を重用します。こうして密教は国家仏教の1つになって行き、空海には平安京の教王護国寺(現在の東寺)が与えられます。この東寺の講堂に、空海が仏像21体を使って密教の世界を表現したと言われる立体曼荼羅があります。通常見られる曼荼羅は布または紙に描かれ、密教の教えを分かり易く表現したものと言われていますが、それを仏像を用い立体化しビジュアル化したものです。却って分かりにくくなった感じもしますが、曼荼羅には空海がたどり着いた密教の奥義が凝縮されていることは間違いありません。私のような凡人にはその奥義は伝わってきませんが、日々曼荼羅に触れることによって、または真言を唱えることによって何らかのご利益があると考えられます。大谷選手は、「曼荼羅チャート」を書くことによって、知らず知らずのうちに密教の奥義、即ち空海の知恵を獲得したように感じます。今の大谷選手には空海が入っているように思われます。