オリンピックには大きな会場は不要ということが分かった

7月23日に開幕した東京オリンピックは8月8日に閉幕を迎えました。その後パラリンピックと続きますが、大きな山は越えたと思われます。6月頃まではコロナ蔓延で開催する状況にはなく中止すべきとの声が多かったですが、IOCが中止はないとの態度をとったため、次は有観客か無観客かということが話題になりました。この議論については、利害関係者はチケットを持っている人または入手する可能性がある人のみであり、この人たちの意見だけが意味を持ちます。それ以外の人たちの意見は全く無意味でした。ところが政府は東京都議会議員選挙の敗北(?)を受け、無観客にしてしまいました。このことについてはドコモのiモード開発で有名な夏野氏もアメーバTVで述べています。私は宮城県がサッカーの試合を有観客にしたように入場者数を制限した有観客が望ましかったと思います。もう一生見る機会がない人も多いオリンピックですから、子供たちには無償で見学させてもよかったと思われます。

これで東京オリンピックはつまらないものになるなと思っていたら、選手には有観客か無観客かは関係ないことが分かりました。テレビ中継を見ていると懸命に試合をする選手の姿はこれまでの有観客のオリンピックと変わらないものであり、無観客で行われていることを忘れさせるものでした。そして選手が試合後に「コロナの中で中止になってもおかしくなったのにオリンピックを開催して貰って有難かった」と述べるのを聞いて、オリンピックの開催について一番気をもんでいたのは選手であり、選手にとっては有観客か無観客かは関係ないんだと思いました。これを気にするのはIOCやJOC、テレビ局やスポンサーであり、選手にとっては4年に一度世界一を決める舞台があればよいのです。東京オリンピックが中止になっていれば、もう2度とオリンピックに参加できない選手が多数いたと思われます。柔道の女子選手には30代もおり、彼女が金メダルを獲得したときにそう思いました。東京オリンピックが開催されたか中止になったかは、選手の人生を左右する一大事でした。

これを考えると利害関係のない我々が中止だ、無観客だと騒いでいたのは、軽はずみだったように思います。政府がこれを決める場合に意見を聞くのは、選手だけでよかったのです。菅首相が各競技の選手代表を集め、こんな中でも開催した方がよいか、その場合無観客でも良いか意見を聞き、決断すればよかったのです。そして「選手が開催を望んでいるから無観客で開催する」と宣言すればよかったのです。こうすれば菅首相は判断軸のしっかりした政治家として見直されていたと思われます。

今回の無観客のオリンピックが開催されたことにより、オリンピックには大きな会場は必要ないことが分かりました。しっかりした競技施設があれば観客の収容規模は小さくても構わないことになります。だとすれば、小さな国や都市でも開催可能となり、オリンピックを開催できる国や都市の数が飛躍的に増えます。それを分からせた東京オリンピックでした。