本庶教授と小野薬品の特許係争は「雨降って地固まる」

11月12日、京大本庶佑(たすく)教授と小野薬品間のガン免疫治療薬オプジーボを巡る特許係争が和解に達したという報道がありました。和解内容は、小野薬品が京大に設ける基礎研究基金に230億円、本庶教授に50億円を支払う、特許料は1%とし、その他に小野薬品は毎年相当の寄付を行う、と言うものです。

この問題の経緯はこうです。本庶教授は1992年にオプジーボの開発に繋がるT細胞受容体タンパク質PD-1を発見し特許を取得します。それを医薬品化すべく多くの製薬会社に当たりましたが、関心を示したのは小野薬品だけでした。そして小野薬品は2006年特許使用契約を結び、本庶教授の協力の下開発を開始します。そしてオプジーボの開発に成功し、2014年から販売を開始します。オプジーボは画期的ガン免疫治療薬として販売を伸ばし、今では1,000億円を超えるブロックバスター医薬品に成長し、小野薬品の売上の半分以上を占めるまでになっています。

ここで問題になったのが2006年に締結された特許使用契約です。特許使用料が1%という低率の取り決めになっていたのです。世界的には5~10%が多い中で、異常に低いのは事実でした。本庶教授が「騙された」と思うのも無理はありません。これが係争の第1点です。次に米国のメルクがオプジーボに似た薬(キイトルーダ)を開発し販売を開始します。これは本庶教授の特許に抵触している可能性が高かったため、小野薬品はメルクを提訴します。この場合特許違反の立証には本庶教授の協力が欠かせなかったため、小野薬品は本庶教授に協力を求め、勝訴した場合にはメルクから得られる賠償金の40%を支払うと約束したようです。これは口約束で、書面を作成していなかったことから、後日問題が生じます。訴訟は2017年メルクが小野薬品の主張を認め和解となり、約700億円の賠償金が支払われますが(その他に売上に応じたロイヤリティが支払われる)、小野薬品から本庶教授に提供された額は賠償金の1%に変わっていたようです。これについて小野薬品は、当初40%と言う約束だったが後日変更されたと述べています。これが係争の第2点です。

本庶教授側は立証が容易な第2点から攻めたようです。第2点については、書面はなくても小野薬品も当初40%支払うと言う口頭の了解があった(小野薬品が申し出た)ことは認めており、後日変更があったことが焦点となります。しかし後日40%から1%に変更するとは考えられず、本庶教授の主張通り40%の支払い約束があったと認められる可能性が高かったと思われます。一方第1点については、特許料1%については国際水準から大きく乖離し合理性を欠く低率になっているのは事実ですが、双方の合意があったのも事実であり、裁判所としては難しい判断となります。

小野薬品としては、40%部分はメルクからの賠償金が原資であり、特許料はオプジーボの売上が原資ですから、共に支払には問題ありません。問題は、40%については支払いの根拠となる契約書が存在しないこと、特許料については2006年の特許使用契約書に1%と明記されていることでした。もし経営陣が本庶教授の主張通りの金額を払えば、根拠のない支払いとして背任などの会社法違反に問われかねません。一方このまま本庶教授の主張を突っぱねると、京大を敵に回し、医学部や薬学部との共同研究、病院での臨床試験などが出来なくなる可能性があります。従って裁判で勝つても困る状況でした。

そこで和解は裁判当初から小野薬品が考えていたシナリオだったと思われます。裁判での和解なら、支払金が巨額になっても堂々と支払えます。和解交渉の中で小野薬品が重視したのは次の2点だったと思われます。

1点目は、特許料については2006年の契約書があり、1%と明記されているので、これによること。これを裁判所が合理性がないとして変更することを阻止することです。もし裁判所により変更されれば、小野薬品が不当な特許料を押し付けていた印象になりますし、特許料の基準が確立してしまいます。そこで特許料は契約の1%のままとして、世界的相場との差は寄付で補うこととします。

2点目は、メルクからの賠償金40%分の支払いと特許料の支払いおよび寄付により京大に本庶教授が望む基礎研究基金を作った場合に、その成果を小野薬品が優先的に使用できる権利を確保することです。オプジーボで将来が不安視された小野薬品が蘇ったのは間違いなく、小野薬品としては京大医学部との協力関係は将来にわたり欠かせません。特に基礎研究は医薬品会社にとって不可欠ですが、社内でやるよりも大学医学部でやってもらい、その成果を優先的に使用する権利を確保する方が効果的です。小野薬品は和解交渉の中でこの部分に重きを置いたと思われます。その結果、研究金基金の名前は「小野薬品・本庶記念研究基金」と小野薬品の支援を印象付けるものとなっています。

この和解により小野薬品は、メルクからの賠償金約700億円の40%、280億円を支払うことになりましたが、特許料は1%のままとなり(ただし加えて毎年相当の寄付を行う)、和解金で作られる基礎研究基金の成果は優先的に利用できることとなったことから、ほぼ満足のいく成果が得られたと言って良いし、本庶教授にとっては最高の結果と言ってよいと思われます。特に小野薬品はこの基金に対して毎年1%の特許料と相当(2%?)の寄付金を支払うことから、基金230億円はそのままとして、毎年の収入で研究を続ける仕組みができたことは画期的です。従ってこの和解は、小野薬品と本庶教授ばかりでなく日本の大学と企業の共同研究にとっても今後の指針となる「雨降って地固まる」的な和解になったと思われます。闘将本庶教授にとっては、ノーベル賞に続く金字塔と言えると思います。