憲法9条が無効なことは中学生でも分かる

ウクライナ戦争が起きてから憲法が頻繁に引用されています。安倍元首相の核共有論に対して共産党の志位書記局長は「仮にプーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです」と憲法を引用しています。また自民党の高市政調会長も講演で、ロシアが不法占拠する北方領土や韓国が警備隊を常駐させている島根県・竹島の事例を挙げ「領土の奪還は憲法で認められていない。取られたらもう終わりだ」とも語り、憲法を引用しています。

この2人に言えることは、憲法を自説の正当性を主張するために都合よく利用していることです。先ず志位氏の主張ですが、憲法9条は

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

と規定しています。これは素直に読めば一切の軍備を放棄した規定となっています。即ち丸腰ということです。国家が存在しなければ憲法はない訳で、国家の存続を前提とする憲法が丸腰を規定することがあり得るのでしょうか。普通ならあり得ません。それは国家を作った構成者の意志に反します。こんな非常識な規定ができたのは、この憲法が作られた当時の日本の置かれた状況が影響しています。日本は1945年8月15日にポツダム宣言を受諾して終戦を迎えていますが、この憲法は翌1946年帝国議会での審議、枢密院での可決を経て11月3日に公布、翌年1947年5月3日に施行されています。この当時の日本は連合国の信託統治下におかれ、武装は完全に解除され丸腰の状態でした。そんな中憲法草案は占領軍司令部(GHQ)主導で作成されています。そのため憲法9条は当時の日本が置かれた状況を反映した内容となっています。審議した帝国議会議員の中には不満な人が多かったと思いますが、それを言える状況にはなかったと思われます。その結果議会ではほぼ修正なく承認されることとなります。憲法は翌1947年5月に施行され、新しい国家となりますが、国家としての主権はなく、なお連合国の信託統治下にありました。日本が主権を回復するのは1951年に米国サンフランシスコで連合国と講和条約を結んでからとなります。これにより日本は主権を回復し、普通の国家に戻ります。憲法第9条の規定は、ここで速やかに改正し普通の国家の規定に戻すべきだったと考えられます。

講和条約を結ぶ前年1950年に朝鮮戦争が勃発し、GHQは憲法9条に問題があることに気付いていたと思われます。それまで警察組織で治安を維持し、大規模な騒乱は連合国軍が対処することになっていたのですが、連合国軍が朝鮮戦争に参加した結果、日本国内には手が回らなくなったのです。そのため1952年GHQの指示で準軍隊組織である警察予備隊が創設されます。警察という名称を付けたのは、憲法9条の制約からだと思われます。朝鮮戦争の停戦が成立した1953年の翌年(1954年)には、自衛隊法が制定され自衛隊が創設されます。自衛隊は憲法9条に言う戦力であり、この時点で憲法9条は意味をなさなくなっている(無効となっている)ことが分かります。

そして1956年当時の鳩山首相は国会答弁で、戦争放棄を掲げる憲法9条の下でも「我が国に急迫不正の侵害が行われ、その手段として誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とはどうしても考えられない。必要最小限の措置をとること、例えば他に手段がないと認められる限り誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれる」と答弁しています。要するに、現在議論されている敵基地攻撃能力を持つことも可能だという見解を出しています。

これを見れば分かるように、自衛権は国家が本質的に有するものであり、主権国家においてこれを憲法上否定することは有得ません。そのため現在の憲法9条は字句解釈を離れてこの趣旨に沿うように解釈、運用されています。憲法9条の規定は1951年に日本が主権を回復したときに実質的に無効となったと言ってよいと思われます。憲法上および法律上求められる字句修正手続きがなされていない状態です。これをもって憲法9条の字句を持ち出して議論するのは馬鹿げています。このように憲法9条が無効であることは中学生でも理解できると思います。そもそも憲法は、現実社会で発生した具体的問題を解決する基準にはならないのです。