日本人は「思考停止」を解除するとき
ロシアのウクライナ侵攻に関して安倍元首相が核共有論の持ち出したところ、共産党の志位書記局長が「仮にプーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです」とツイートしました。これに対して安倍元首相は「空想にとどまっていて思考停止だ」と批判しました。ここから「思考停止」というキーワードが使われ始めます。安倍氏とは敵対するはずの石破茂議員もabemaテレビで「“核の傘があるから大丈夫”は思考停止ではないか」とこのキーワードを引用しています。その他新聞、雑誌でも多数見られます。
この「思考停止」という言う言葉は、日本の安全保障に対する緩い態度を言い表したものですが、政治家、経営者、サラリーマンなど多くの日本人に当てはまるような気がします。というより日本人の特性と言ってもよいのではないかと思われます。安倍首相はこの言葉を野党である志位書記局長に投げていますが、岸田首相は記者会見で記者から「非核三原則を維持すると言うことだが、それで日本の安全は守れるのか」と問われて、「守れると信じている」と答えています。国の安全保障については具体的検証が必須であり、一国の首相がそれなしで「信じている」と言うとは驚きです。これは岸田首相が「思考停止」に陥っているためです。このように日本のトップでさえ簡単に「思考停止」状態です。これは企業で不祥事が生じたときの経営者記者会見でも良く見られる現象です。「思考停止」に陥り具体性のない抽象論を繰り返します。
日本は1990年頃からバブル崩壊に見舞われ、バブルの処理に20年くらいかかりました。欧米では含み損を抱えた物件を速やかに損切りし再生を図りますが、日本はこれを決め切らず20年近くかけて処理しました。この間に経済的に欧米諸国を始め中国、韓国などのアジア諸国にも追い抜かれてしまいました。このときも経営者および会社の構成員全員が「思考停止」状態だったと思われます。
日本社会は同調社会と言われますが、これは社会的多数者または強者がいれば思考を停止することで成立しています。これはこれまで協調性として美化されてきましたが、実体は「思考停止」であり、進歩の停止と言えます。
この日本人の特性は、古くから脈々と受け継がれてきたものです。1603年に本格的国家として江戸幕府が成立しますが、考えるのは幕府の一部の幹部だけで、その他の構成員は幕府から言われたことをするだけでした。これが明治時代になるとそのトップが徳川将軍から天皇に変わりましたが、天皇への忠誠が絶対とされ、これまた「思考停止」が強要されました。大正と昭和の終戦前まで同じ状態です。
日本人が制度上「思考停止」を解除されたのは太平洋戦争後の1945年からだと思われます。それでも長く続いた「思考停止」がそう簡単に直るはずがありません。時々の政権も国民は「思考停止」の方が支配統制しやすいことから、新聞およびテレビを利用して「思考停止」を続けるよう仕向けました。その結果自民党一党独裁の継続に繋がりました。1945年GHQ司令官として日本に来た米国軍人マッカーサーは、「日本人は12歳」と言う言葉を残しています。この解釈については、日本人の純粋さを褒めたものという説もありますが、日本人の知能は米国の12歳の子供並みと貶したという説もあります。多分後者が正しいと思われます。太平洋戦争で多くの日本兵が「天皇陛下万歳!」と言って死んで行ったことや米軍が日本に上陸した際に国民の多くが裸足で竹槍をもって戦おうとしたことを考えると、12歳と言われてもおかしくなかったと思われます。
その後日本人は教育改革により考える姿勢が付いたのは間違いありませんが、日本社会には考えることを阻む慣習がありあます。それを表す一番特徴的な言葉は「しょうがない」ではないかと思います。この言葉は災害が発生したときや大切な人が死んだときなどに自分を諦めさせる言葉としてよく聞かれますが、これはまた努力を放棄する「思考停止」の言葉でもあります。
このように今回のウクライナ戦争で「思考停止」という日本人の悪い特性が浮き彫りになっており、今後日本が発展するためにはこれを解除する必要があります。