憲法は国の「最低」法規と言うのが正しい
ロシアのウクライナ侵攻があって、ロシアの脅威に直面した日本でも防衛問題が認識され、核共有などの関係から憲法が取り上げられる機会が多くなっています。例えば、安倍元首相がテレビ番組で「核共有の議論も必要」と述べたところ、共産党の志位書記局長がツイッターで「憲法9条をウクライナ問題と関係させて論ずるならば、仮にプーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです。」と述べて議論を呼んでいます。確かに侵略抑制の立場から見たらそうですが、侵略されたウクライナの憲法が日本憲法9条と同じだったら、ウクライナは何の抵抗もできずに今頃占領されています。これが今浮上している日本憲法9条の問題です。志位書記局長は完全に論点をはき違えています。
日本国憲法の位置付けについて憲法第98条1項は
「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」
と定めています。日本国憲法はあらゆる法規や命令などの中で最高の規範であるという意味です。
私はこの規定についてずっと違和感を持っていました。憲法は本当に「国の最高法規」なのかという疑問です。確かに国を作るに当たって所属者が合意した基本事項が憲法ですから、考え方としては最も基本となる合意であり、その点では最高法規と言えると思われます。しかし世の中を見れば分かるように憲法が出来る前には私的取引に関する取り決め(民事契約)や刑罰に関する合意が積み上がっており、それらの最大公約数=多くの構成員が同意できる事項が憲法となっています。即ち、初めに憲法ありきではなく、憲法は様々な取り決めの最大公約数として最終的に出来上がったものです。これは私法や公法の上に憲法があるように見えますが、憲法がこれらの最大公約数であることを考えると、憲法は最低限のルールを決めたものであり、最下層にあるとも言えます。例えば、賃金に関する取り決めで言えば、憲法は最低賃金のようなものであり、最低のルールを決めているだけです。従ってこの以下のルールは認められませんが、これ以上なら憲法の知るところではありません。
そのため世の中の具体的ルールは、憲法の上位にある法律で決められることとなります。世の中は激しく変化しているので、法律は度々改正されたり、新に制定されることとなります。
一方最低のルールを決めている憲法は、世の中の激しい動きとは無縁です。法律と憲法は揺れ動く海面と静かな深い海底に例えられます。
このようにあまり動かない憲法は、普段意識することはありません。日本においても1947年の施行以来一度も修正されていません。多分国会では憲法審査会など憲法に関する委員会が一番活躍する機会がなく国会議員に人気がない委員会だと思われます。また大学法学部でも憲法は学生の関心が薄い学問です。多分学生が憲法の教科書を読むのは、憲法の単位を取るための試験を受ける前位ではないでしょうか。学生にとり憲法問題は、現実感覚がない雲を掴むような感じであり、これを深く探求するのは困難です。やはり憲法は私法や公法の集約として意味があります。
こう考えると現実の問題から憲法のあり方を考えることが憲法への正しいアプローチであり、1947年、連合国司令部(GHQ)の指揮のもと制定された今の憲法の枠組みに現実を閉じ込めようと言うアプローチ(解釈)は、間違っていると思われます。憲法と現実の間に齟齬が生じたら、現実に合うように憲法が修正されないと、国民の多くが認める最高法規には昇華しません。今の憲法は実効性において、また国民の認識においても、国の「最低」法規という言い方が正しいと思われます。