今こそ読みたい山岡荘八「小説太平洋戦争」
小説家山岡荘八の代表作は大作「徳川家康」26巻でしょうが、渾身作は「小説太平洋戦争」(9巻)だと思います。山岡荘八は太平洋戦争中大本営報道班に属しており、実際に日本軍の東南アジア侵攻に同行しています。そのため戦争の実際の場面も経験しており、その他の太平洋戦争の状況については、終戦後は生き残った軍人に取材しています。戦争時の山岡荘八の立場は、海外に侵攻した日本軍の活躍を描くことによって国民の戦意を高揚することでしたが、この小説にはそのような姿勢は全く伺えません。新聞記者のような視点になっており、司馬遼太郎のような取材力です。司馬遼太郎との違いは、登場人物の立体感だと思われます。登場人物の描き方が司馬遼太郎より巧妙です。
この小説は昭和37年から同47年までの10年に渡り、月刊誌「講談倶楽部」その後「小説現代」に掲載されたようです。昭和25年から昭和42年まで「徳川家康」を書いていますから、6年間は同時に出筆していたことになります。「徳川家康」では家康関係の史実を丹念に調べ上げていますから、これと全く異なる太平洋戦争の史実を同時に収集していたとは驚きです。「徳川家康」が過去の戦国ロマンの世界とすれば「小説太平洋戦争」は同時代の実録の世界であり、この頃山岡荘八は2つの異なった世界で生きていたことになります。執筆開始が昭和37年と終戦(昭和20年)後17年経ってのこととなったのは、戦時中同じく小説家の吉川英治氏が海軍から頼まれて戦記物語を書くこととなっていたため、いずれ吉川英治氏が書くのでは控えていたからのようです。それが吉川英治氏が亡くなり、誰も書く人がいなくなったことから、従軍作家の使命として書き始めたようです。そのため本書の巻頭の「執筆を終えて」の最後に、自分自身に対して「大本営報道班員山岡荘八、本日会限りで職務を解く」と命じています。山岡荘八は雑誌掲載中原稿を書き上げるたびに号泣していたと言われており、これは小説ではなく、ノンフィクションであることが分かります。そのためあえて題名に「小説」という言葉を入れ、ノンフィクション性を消そうとしているように思われます。
この小説には、開戦前後の軍部の状況から始まり、真珠湾攻撃、フィリピン・マレー・オランダ領インドネシア侵攻、ソロモン海戦・ミッドウェー海戦・ガダルカナル島戦、ニューギニア戦・ビルマ戦・インパール戦、サイパン戦・硫黄島戦、フィリピン戦・沖縄戦、ソ連軍の満州侵攻など太平洋戦争の全貌が描かれています。内容的には現地で指揮を執った軍人を中心に据え、その人となりと作戦、部隊の苦難を中心に描いていますが、残忍な場面は皆無です。それでもパプア・ニューギニアやソロモン諸島の島で、上陸後補給船が沈められ、武器弾薬や食料の補給が絶えた中でジャングルをさまよう場面が頻繁に出てきますので、日本軍が味わった苦難と戦争の悲惨さは十分に伝わってきます。こうして約300万人の日本人が亡くなったことを知ると、2度と戦争はしてはならないと言う誓いが生まれます。
太平洋戦争については、学者の書いたものは政治家や軍人の行為を取り上げて戦争責任を追及するものが多く、実録物としては例えば満州での出来事など一部を取り上げたものはありますが、太平洋戦争全体を網羅的に取り上げたものはないのではないでしょうか。義務教育では戦争があった事実とその経過及び原因はさらっと教えますが、戦争の実際の様子は殆ど教えられません。そのため戦後生まれた日本人は、戦争があった事実は知っていても、戦争の悲惨さは理解していません。現在ウクライナ戦争で、破壊された町や殺害されたり負傷した住民、多くの避難民をテレビで見て、戦争の悲惨さを実感している日本人も多いと思われます。しかしわずか約80年前には日本がロシアの立場にあり、ウクライナに派遣されたロシア兵が食料がなく飢えに苦しむ状態が日本兵にもあったことは、日本人なら知っておく必要があると思います。そしてそれを知るのに最適な本がこの山岡荘八の「小説太平洋戦争」です。この本は、思想的偏りもなく、取材力、文書力も申し分ないノンフィクション「小説」であり、お薦めです。