「政府の債務は国民の資産」論、資産の多くが政府に対する債権なのが問題

ヤフーニュースを見ていたら「政府債務を国民の借金にすり替える印象操作 簿記を習う高校生でもわかる問題のある論法「時そば」よりも悪質」という記事が目につきました。

「政府債務を国民の借金にすり替える印象操作」という部分は私も思っていましたので、内容を読んでみました。少し引用します。

―8月11日付朝刊各紙の報道である。

日本経済新聞の場合、1面題字下3段見出しで、「国の借金 初の一人1000万円 6月末 総額最大の1255兆円」とある。1面は前日の岸田文雄改造内閣発足特集だ。それに乗じて増える政府の総債務は国民の借金なんだぞ、という印象を読者に植え付ける意図がありありとうかがえる。

これが問題のある論法であることは、簿記を習う商業高校生ならすぐわかることだ。資本主義発展の鍵である複式簿記では、負債と資産は一致する。他のだれかが借金しないと、国民の資産は増えない。日本の場合、日本国債の9割以上は日本国内で買われているから、1255兆円の大半は日本国民の資産なのである。

ところが、各紙は1億2484万人(概算値)で単純計算すると、国民1人あたりで約1005万円の借金になった、と書く。古典落語の「時そば」の客よりも悪質だ。

何しろ俺の借金はあんたがた国民の借財だぞ、さあ払え払え、さもなくば増税を受け入れよと言わんばかりなのだ。―

私もこれまで同じように考えていましたが、新聞社の経済担当記者がこのことを知らないはずがなく、このように書く理由を探して来ました。新聞記者の言い分としては、国民一人当たりで書いているが、国民一人一人がこの額の借金を負っているとは書いておらず、1つの指標として国民一人当たりで出して見ただけ、ということになると思われます。これを批判するならどういう指標が良いのか言ってみろ、という訳です。そう言われると尤もであり、批判のトーンが落ちます。ただし財務省の意向が働いているのも事実だと思われます。

この記事の筆者は

―「政府債務は国民の資産であり、だまされるな」と折に触れて論じてきた。まともな評論家やエコノミストは同調するが、メディアの大半は無視し、相も変わらず冒頭のような、まるでハンコを押すかのような記事を毎年繰り返す。―

とお怒りですが、「政府の債務は国民の資産」は良いとして、問題は資産の内容だと思われます。政府債務1,255兆円の殆どは国民(法人も含む)からの借金であり、国民の金融資産のうち1,255兆円は国への債権(有価証券)となります。これが資産内容として健全なのかということが問題となります。国の債務は最終的には国債を発行して返済されることが担保されているので、安全性は高いです。国債は引受手がいないと発行できないではないかと言う反論が出そうですが、その場合は引受後日銀が速やかに買い入れることを条件に銀行などが引き受けますので、引受手がいないという状態にはなりません。そもそも国債は発行した時点で最終的には日銀券での償還が担保されています。もう1つ注意すべきことは、日銀券は国民が持てば資産(現金)ですが、日銀=国にとっては湧き水みたいなものであり、資産性はなく、当然負債でもありません(返済する必要がないから。しかし日銀のバランスシート上は発行銀行券という負債勘定になっている。この時点で複式簿記は使えない)。このように政府債務は最終的には湧き水のような日銀券で償還されますが、こうなると政府に債権を持つ者は湧き水の配給権を持っていることになります。湧き水ですから水不足のとき(お金が不足しているとき)には貴重ですが、雨が多い(お金が溢れているとき)ときには価値がなくなります。「政府の債務は国民の資産」論には、国民がこのような債権を1,255兆円も持っているということに対する考慮が抜けているように思われます。