日本電産永守会長は現代の豊臣秀吉

9月2日、日本電産の永守会長(CEO)は記者会見を行い、正式に関潤社長が辞任し、小部副会長が社長(COO)に就任することを発表し、「2023年4月に5人の副社長を配置し、その中から2024年4月に新社長を選ぶ」と表明したということです。永守会長は記者会見で「自分のところより外部にいい人がいるとの思い込みがあったが、優秀な人材が社内にいると気がついた」と話し、8月に亡くなった京セラ創業者の稲盛和夫氏に言及し「以前、外部からの後継者選びは失敗すると指摘されたが、稲盛さんの言った通りだった」と述べたということですから、これまで後継者を外部から招聘したのは稲盛氏の真似をしたくなかったからかも知れません。7月の決算会見でも「日本電産の企業文化が崩れ去っていくのを見ていられなかった」と述べており、社内からの昇格は相当前から考えていたものと思われます。

来年4月から5人の副社長を置くと言うことは、5つの事業部に分け、それぞれに責任者を置くことを意味していると思われます。日本電産は5事業部の合衆国になると言うことです。各事業部担当の副社長は、その事業部勤務が長い入社20年以上の実質生え抜き社員が就任することになり、5つの日本電産に分社されたような運営となります。各副社長に就任する人は、長い間その事業部門で実績を上げ続けている人で、事業部担当としては申し分ない人になると思われます。その中から業績や会社経営の資質を見て1人を社長=CEOにするのでしょうが、役割としては5事業部の調整とM&A、新事業の創出になると思われます。永守会長がこれまでやってきた全権CEO的な役割にはならないでしょう。これなら日本電産は間違いなく回ります。

そして2024年4月に新社長が就任した暁には、永守会長はCEOおよび会長職を「辞職」することになると思われます。「辞職」の理由は、無謀な車載モーター事業の売上計画を掲げたことです。これにより2024年4兆円、2030年10兆円という日本電産の売上目標は取り下げられ、新経営陣により新たな売上目標が策定されることになると思われます。勇退ではなく「辞職」にしないと、日本電産の「必ずやる」という永守イズムが守れません。

永守会長を見ていると戦国武将豊臣秀吉と重なります。職業訓練大学校という恵まれない学歴から1代で世界一のモーター事業会社を作り上げた点が、農民から天下人となった秀吉に重なりますし、一般人から見たらホラとも思える目標を掲げ、ガムシャラにそれを実現する点も似ています。

来年5人の副社長を置くと言う点は、秀吉が晩年5奉行を置いたことと重なります。秀吉は慶長3年(1598年)死期が近いことを悟り、幼い後継秀頼の政治的後見人として5大老5奉行制度を定めました。5大老は徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川孝家の大身大名でしたが、5奉行は豊臣家生え抜きの優秀な家臣(石田三成、浅野長政、前田玄以、増田長盛、長束正家)を当てました。今回日本電産で副社長に就任する5人は5奉行に相当すると思われます。秀吉がこの制度を作らざるを得なかった原因であり、またこれが機能しなかった原因は、秀吉の弟豊臣秀長が天正19年(1591年)に没したからです。豊臣政権は秀吉のワンマン政権のように見られていますが、実は秀長という大番頭がいて安定していたのです。九州の大名大友宗麟が秀長を訪ねた際秀長が宗麟に、「公儀の儀は宰相(秀長)、内々の儀は宗易(利休)存じ候(公のことは秀長に、内々のことは利休に相談せよ)」と言ったように、豊臣政権の実務は秀長が切り盛りしており、秀吉は重要な政務だけ行っていたようです。日本電産で秀長に当たるのが今度社長に就任する小部氏だと思われます。永守会長は忙しいことから、日本電産の実務の大部分は小部氏が決裁しており、永守会長が決裁するのは重要事項のみであったと思われます。そして各事業の担当役員も事業に関わる相談は小部氏に行い、小部氏が永守会長に相談する必要がると判断したことのみ、永守会長に上がっていたと思われます。そのため日本電産社内の通常の実務は永守氏の忙(せわ)しさに煩わされることは無かったように思われます。

この見方が当たっているとすれば、2024年4月の永守会長「辞職」後の会長には小部氏が就任することになると思われます。小部会長なら新社長も落ち着いて職務を行え、かつ永守氏も安心です。

豊臣政権は秀長死去後鎹(かすがい)が外れたようにバラバラになり、ついには豊臣家子飼いの大名同士が敵味方に分かれて関ヶ原で戦い、政権崩壊を招きました。これに対して日本電産では、秀長に当たる小部氏が健在であることが豊臣政権との最大の違いであり、永守会長「辞職」後の日本電産の経営は、小部氏の後見のもと無事に次世代に引き継がれることとなると思われます。

(尚、豊臣秀長に関心を持たれた方は、ブログヘッダー部分かカテゴリーにある「豊臣秀長と藤堂高虎」をご一読下さい。)