岸田首相は「聞く」で菅首相は「訊く」

岸田首相は人の話をよく聞くことをセールスポイントとしていますが、今回安倍元首相の葬儀を国葬とすることを独断で決めたことから、このセールポイントに疑いの目が向けられています。岸田首相はこのセールスポイントの象徴として人と会うときにはートを持参しているようですが、これはリーダーにはあり得ない道具立てです。ノートを持参するのが適切なのは秘書やスタッフです。リーダーには決断が求められており、決断に必要な情報を集める必要があります。そのような情報はこちらから求めに行かないと手に入りません。そしてそのような情報は大きなボリュームにはなりまん。従ってノートに書き留める必要はありません。

私が社会人になりたての頃、業務で別の業界の知識が必要になり、いろんな伝手を辿ってその業界の人の話を聞けることとなりました。そこで50歳代のその方を訪ね基本的なことから聞き始めたところ、その方は質問を遮って「そんなことは本で調べれば書いてあるだろう。人に聞くのは調べても分からなかったことだけにしなよ。」と言いました。これまで同じようなケースでは易しく教えてくれる人ばかりだったので面喰いましたが、言われてみるとその通りでした。以後人に教えてもらいに行く場合は、調べられることは徹底的に調べて、聞きたいことを絞って行くようになりました。そうなると聞き方が全く違ってきます。0から聞く場合、相手の説明を丸ごと聞きますが、自分で聞きたいことを絞っていると、こちらが理解する上で足りないピースだけを聞くことになります。聞き方が能動的になるのです。岸田首相の人の話をよく聞くと言う態度は、私が反省する前の態度に似ています。どこか受け身なのです。漢字で書くと「聞く」「聴く」に近いと思います。

一方事前に調べて聞きたいことを絞り込むのは、判断や決断を迫られた場合です。判断や決断を間違うととんでもないことになるので、調査も綿密になります。その上で聞きたいことを絞り込んでいますから、聞く内容は刃物みたいなものになっています。漢字で書くと「訊く」が充てられると思います。訊問に近い聞き方となります。

菅首相の聞き方は「訊く」に近かったように思います。菅首相は数名のブレインを抱え、自分が判断するに当たってはブレインの意見を聞いていたようです。そのブレインの代表が元ゴールドマン・サックス証券調査部長のデービット・アトキンソン氏でした。アトキンソン氏は日本のGDPが増加しない原因は輸出の割合が低い(GDP比16%)ことであるとし、韓国(42%)やドイツ(46%)並みに増やすことを目標とすべきと主張していました。また最低賃金の引き上げも主張の1つでした。菅首相時代に掲げられた最低賃金1,000円の目標はアトキンソン氏の主張を採用したものです。菅氏が官房長官時代に力を入れたインバウンド観光もアトキンソン氏の提唱であり、アトキンソン氏の主張には実績がありました。菅首相はこのような政策をアトキンソン氏に「訊いて」判断していたと思われます。この関係は真剣勝負に例えられると思われます。その他に元財務官僚の高橋洋一氏にもよく「訊いて」いたようです。そのため菅首相には土日にこれらの人と会う予定が入れられていました。

岸田首相にはブレインもいないし、岸田首相が土日に情報収集のために人と会ったという報道も見たことがありません。見るのはどこかの団体を訪問して車座になって話を聞いた(その際にノートを持っていた)と言う話だけです。これは「聞く」であり、何らかの判断や決断に向けた聞き方ではありません(というよりパフォーマンス)。

菅首相は元堺屋太一経済企画庁長官が書いた「豊臣秀長」を読み、豊臣秀長があこがれの武将となったと言っていましたが、これは本の中で多用される「補佐役」と言う言葉に当時官房長官だった自分を重ねたものと思われます。しかしこれは勘違いで、菅首相は豊臣秀長を実務面で支えた藤堂高虎に近いと思われます。藤堂高虎は豊臣政権崩壊後徳川家康に評価され、彦根と並ぶ東西の要所伊賀上野を任され、家康・秀忠・家光の徳川3代将軍に重用されました。それはひとえに実戦に強く、「訊く」力があったからです。菅氏にはこの特徴が見て取れます。一方岸田首相には該当する戦国大名が見当たりません。戦国大名ではなく公家のイメージと重なります。岸田首相の「聞く」が「訊く」に変わらない限り、国民にとって有益な決断はありそうにありません。