東国原新党で宮崎の自民党地方議員は大量落選

タレントで元宮崎県知事の東国原英夫氏が立候補して注目された宮崎県知事選挙は、12月25日に投開票が行われ、大接戦の末前職の河野俊嗣氏が4選を果たしました。得票数は河野氏258,646票、東国原氏235,602票となっています。東国原氏は2007年1月に宮崎県知事に初当選し、テレビ仕込みの発信力で宮崎をアピールし宮崎の存在感を高めました。そのため宮崎県民の多くは当然2期目もやってくれるものと期待していましたが、なんとあっさり退任しました。そのときの理由は県知事の仕事に限界を感じたということでしたが、その前から国政進出が話題になっており、宮崎県知事の仕事に飽きたという印象を与えました。案の定退任した2011年1月20日から20日程経過した2月10日には東京都知事選挙への立候補を表明しました。結果は前職の石原慎太郎氏に約90万票の差を付けられ落選でしたが、投票数は1,690,669票で2位でした。更に2012年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会から比例近畿ブロックで出馬し、比例単独名簿の第1位で当選しました。

しかし2013年12月17日、「日本維新の会の原点である理念、政策、方向性が変質・変容している感が否めない」として離党し議員辞職しました。これにより宮崎では、東国原氏はあまりに勝手というか気ままというか、信頼がおけないという評価が確立しました。今回の宮崎県知事選挙ではこの評価が影響し、最初はとっても相手にならないと思われていたようです。それが8月に立候補を表明後12月25日の投票まで隈なく宮崎県内を回り、前回1期で退任したことのお詫びと宮崎再生計画を訴えて信頼回復を図ったようです。その結果河野知事12年間の県政に不満を持つ県民の支持を獲得し、河野氏に約2万票差に迫る善戦となりました。この選挙はこれまでの日本の選挙で選挙期間中一番支持者を増やした選挙とも言われています。65才の東国原氏にとっては命を削る戦いだったと思われます。

今後について東国原氏は「全く白紙。正月に良く考えたい。」と言っていましたから、正月明けの早い時期に態度を表明すると思われます。これまでの東国原氏の行動と今回の選挙経緯から予想すると宮崎に地域政党を設立し、今年の4月にも予想される統一地方選挙に多くの候補者を立てて来る可能性が高いと思われます。その根拠としては

・前回宮崎県知事を退任して直ぐ東京都知事選挙に、その後衆議院選挙に立候補しており、畳みかけるところがある

・今回の知事選挙には負けたとは言え投票者の約半分の支持を得たのは、宮崎の自民党県政に対する不満が多いことの表れであり、新党でこれを吸収できる可能性が高い。

・今回の知事選挙で自分を支持した人たち(特に事業者)は今後冷遇されることが予想されるので、簡単には引き下がれない。

・今回の知事選には息子(加藤守)が会社を辞め従事しており、息子が宮崎で政治活動を継続できる基盤を作ってやる必要がある。

と言うことが挙げられます。

この結果まだ県知事選挙の支援組織がホットな状況で活動の継続を表明する必要があることから、統一地方選挙を目指し地域政党「どげんかせんばいかん党」(略称;ど党)の結成を新年早々に発表すると思われます。そして東国原氏は県議会議員選挙に都城選挙区から立候補し、息子の加藤守氏は宮崎市議会議員選挙に(県議会議員への立候補もあるが宮崎市議会議員の方が当選する可能性が高い)立候補すると予想します。その他新党から多くの候補を建てます。東国原氏の県知事選挙の得票数からすると新党から相当の当選者を出してもおかしくありません。宮崎県知事選挙での東国原票は宮崎の自民党支配への不満票の意味合いが強いのは間違いなく、来る統一地方選挙で宮崎の自民党地方議員は大量に落選することになると思われます。果たして宮崎の自民党地方議員はこの結末を予想していたでしょうか。