宮崎県知事隠ぺい事件で分かる地方新聞は知事の広報誌
宮崎県の河野知事が自身のコロナウイルス感染が発表される前日の1月1日に初詣に行きながら、県の広報担当者が地元新聞に載せる知事の動静について初詣に行ったことを伏せ1日公舎で過ごしたと報道するよう求めたことが問題となりました。河野知事の毎日のスケジュールは、宮崎県の広報から報道機関に連絡が入るようになっており、知事の動きとして地元紙宮崎日日新聞(宮日)に毎日掲載されるようです。 1月3日の宮日朝刊を見ると(2日は新聞休刊日)… 知事の動き1日【午後】2時、宮崎市の宮崎神宮、県護国神社に初詣。終了後、公舎へ。 と正しく記載されているのですが、 これに至るまでに県の広報担当者と宮日の間で「初詣の事実を伏せて報道してほしい」、「いやそれは出来ない」と押し問答があったようです。1日の午後9時20分に県の広報担当者から宮日に送られたメールでは河野知事の1月1日の動向として「宮崎市の宮崎神宮、県護国神社に初詣」と書かれていたのですが、2日に河野知事のコロナ感染が分かった後の午後5時24分のメールで「1/1の知事の動きの訂正をお願いします」「(訂正後)終日、公舎などで過ごす」と指示されています。これは明らかに河野知事のコロナ感染と感染時の行動を隠蔽するためになされたものと考えられます。これについて当初河野知事は「自分が依頼したものではない」とし「初詣自体が知事の職務に関わるものではないことに加え、その過程で濃厚接触などがなかったことを踏まえ、県民に無用の不安を与えないようにという職員の判断」であったと説明しました。しかし1月8日になって河野知事は、2日の感染判明後職員から宮日に河野知事の初詣の行動履歴を変更するよう求めることについて事前に相談を受けた際に、「仕方ないのかな」と返答したことから、自分に全ての責任がると説明を変えました。河野知事はコロナ隔離後1月8日に今年初めて県庁に出勤したようなので、広報の担当者と経緯を確認したところやはり自分が止めなかったことに責任があると気付いたようです。全て広報の担当者のせいにしなかった点では、一歩踏み留まったと言えます。
この騒動を通じて宮日は、嘘の報道を求められたのを拒否し報道機関の良心を守ったとか、筋を通したと評価する声が多いですが、それは表面的過ぎます。河野知事も広報記事内容の修正については良くあることであり、今回もそんなに大ごとだとは思っていなかったと言っており、県(県知事)と宮日はツーカーの関係であることが分かります。宮日を初め各県の地元紙は県知事の動向ばかりでなく、県職員の移動情報についても1社独占提供されているところが多く、新聞の拡販手段となっています。一方県知事は県民に最も多く読まれている地元紙に県の情報を頻繁に乗せることにより自分の仕事ぶりを宣伝することになります。県知事の仕事の半分は、地元の人たちがたくさん集まる集会や会場に出向いて挨拶するなど一種の選挙活動であり、地元の新聞に知事の行動や発言を載せることはこれと並び重要な選挙活動と言えます。このように県知事と地元新聞はお互いに持ちつ持たれつの関係であり、今回宮日が修正、というより嘘の記載をすることに応じなかったのは、宮日の自己防衛本能に基づくものです。なぜなら1日に宮崎神宮や護国神社で河野知事を見た人が多数おり、嘘の記載をすればいずれバレ、宮日が共犯として信用を失うことになることは明らかだからです。多分宮日の担当者は上司に相談し、上司は宮日の幹部と相談し、宮日の信用を守るため会社として修正を拒否することに決めたものと思われます。今回の一件により河野知事と宮日は絶交状態になるかと言えば、そんなことはありません。お互いに持ちつ持たれつの関係であることから、宮日の社長と河野知事が会って和解し元通りです。地元新聞は知事の広報誌的存在です。