川辺川ダム建設中止判断は第三者委員会で検証すべき

2020年7月4日の球磨川大水害(洪水)から今日で3年が経ちます。先週は球磨川流域でも大雨となりましたから、悪夢の再来を心配した住民も多かったと思われます。球磨川大洪水はかってない大雨が根本原因ですが、蒲島知事が2009年に川辺川ダム建設計画を中止にしたことも大きな原因となっています。京都大学は仮に川辺川ダムが計画通りに建設されていた場合、氾濫を避けることは不可能でも市内中心部に溢れ出る水量を一割以下に抑えられたであろうと試算していますから、川辺川ダム建設計画中止が被害の主因と言ってよいかも知れません。

川辺川ダム建設計画は1965年(昭和40年)の球磨川豪雨を受け、翌年建設省が発表しています。完成予定は1976年でしたが、反対運動により本体工事に着工できず2008年度まで延期されました。反対理由は主に3つ(環境・水利・補償)に分けられるようですが、最大のものはダムが自然環境を破壊すると言うことでした。熊本県は、賛成派・反対派および国土交通省が参加する川辺川ダム住民討論集会を開催し、議論の収束を図っています。この集会での議論についてはウィキペディアを引用します。

「最大の論点となったのは治水効果についてである。反対派は国土交通省が定めた計画高水流量が過大であるとし、川辺川ダム建設を前提にした空論であると指摘した。また昭和40年の豪雨は市房ダムの放流が被害を拡大させたとして、「ダムが洪水を招いた」と非難した。実際人吉市では市房ダム完成以前はせいぜい膝までしか浸水しなかったのが、ダム完成以後人の背丈以上に浸水するようになったという被災住民の話を紹介し、洪水を招くダムは不要であると説いた。また、下流の八代市についても萩原にある通称「萩原堤防」は200年以上も破堤していないとし、球磨川の治水にはダムは不要であると論じた。そして球磨川のこれからの治水についてはヨーロッパ型のダムに拠らない治水対策を図るのが最良として森林の整備による保水力の増強で計画高水流量が30%減少するとしたほか、未改修部分への堤防整備と河岸補強、遊水池の人吉盆地への建設、そして球磨川水系における全てのダム撤去を行うべきと主張した。最終的には球磨川は熊本県だけを流れていることから、国の管理ではなく熊本県が管理する、すなわち一級水系から二級水系へ変更させるというのが彼らの到達目標でもある。

一方、国土交通省は計画高水流量については過去の降雨量や洪水量、地形を分析した結果算出したとしてデータを提示して反論。また、ダムによる洪水増幅についてはダム単独での治水には限界があると認めながらもそれを防止するために川辺川ダムの建設は必要とし、その上で堤防の増強や河岸補強を実施するとしており、河川改修だけでは洪水被害を回避できないとした。また森林整備については間伐の必要性は認めたが森林整備だけでは洪水を防止できないとした。そして遊水地建設とダム撤去については多大な費用や補償案件の発生、環境への影響が未知数であるとして非現実的と一蹴した。」

この記述を見ると結果的には国土交通省の主張通りになっていることが分かります。国土交通省もダムの建設予定地はたくさんの候補の中で必要性が高いところから選定しており、主張は綿密なデータに基づいていたことが伺えます。従って素人がこの主張を覆すのは殆ど不可能と言えます。その後蒲島知事の就任後川辺川ダム建設計画は中止となるのですが、この経緯もウィキペディアから引用します。

「2008年3月に熊本県知事に就任した蒲島郁夫は河川法に基づく基本方針への同意を判断するにあたって、川辺川ダムの費用対効果や生態系への影響を検証する有識者会議の設置を表明、半年後をめどに知事としての態度を明らかにするとした。有識者会議は8回の会議を経て「川辺川ダムに関する有識者会議報告書」 がとりまとめられたが、報告書では川辺川ダムによる治水対策について「地球温暖化を踏まえ、抜本的にはダムによる治水対策が有力な選択肢」としつつも、現行の計画の見直しの必要性に言及している。結果として賛成・反対双方の意見を取りまとめたものの、委員会として賛否を明確にしないものであった。有識者会議の意見書は国土交通省・反対派団体のどちらにも与するものではない評価であったが、反対派はこのような態度も厳しく批判し、従来通り川辺川ダム中止を求めていた。

このような状況において、2008年8月には川辺川利水事業は推進としながらも川辺川ダムへの対応を保留にしていた相良村の徳田村長が「現状のダム建設には反対」とする姿勢を明らかにしており、人吉市の田中市長も「ダムは自然環境悪化につながりかねず、市民の多くが否定的だ」として反対の意思表明を行っている。

2008年9月の県議会において蒲島熊本県知事は、「住民のニーズに求めうる『ダムによらない治水』のための検討を極限まで追求すべき」として、現行計画を白紙撤回することを求め、球磨川河川整備基本方針への不同意の方針を表明した。この発表は、直後の世論調査で県民の85%が支持した。」

これによると蒲島知事就任後関係自治体の首長が反対に転向し、それを受けて蒲島知事が川辺川ダム建設計画を中止としています。この年の9月初めには民主党政権が誕生し、川辺川ダムと同じ頃計画され遅々として進まない代表例とされた群馬県八ッ場ダムの中止を決定したことも影響していると思われますが、蒲島知事は就任後6カ月でこの問題に結論を出すと言明していたことから、蒲島知事の中では知事就任前から川辺川ダム建設中止で固まっていたと思われます。でないと6カ月で結論を出せる問題ではありません。

私が川辺川ダム建設中止の経緯を調べてみようと思ったのは、国土交通省の川辺川ダム建設計画では2020年7月の球磨川大洪水の危険が指摘されていたはずなのに、なぜ蒲島知事はダムが無くても球磨川大洪水は防げると判断したのかに興味があったからです。日本有数のダムの専門家集団である国土交通省のダム部隊が多くのデータから出した川辺川ダムがないと将来球磨川大洪水は防げないという判断を否定するには、彼らに負けない専門家集団を抱えるか、ダムに関する日本有数の権威の助言が必要です。蒲島知事は賛否が割れる問題の定石通り有識者会議を設置して議論しています。この有識者会議は、河川工学、気象学、森林生態学など幅広い分野の日本有数の研究者・実務家を揃えており、メンバー的には申し分ないものです。ただしダムが無いと球磨川大洪水は防げないかどうかにフォーカスされたものではなく、これだけ違う分野の専門家を集めると結論はメンバー個人の見解を記載した総花的なものにならざるをえません。案の定結論は出さず、賛成反対の根拠を整理しただけの報告書となったようです。報告書はダムが無くても球磨川洪水は防げるという論調でなかったことは、この報告書を反対派が批判していることから分かります。このような状況で蒲島知事が川辺川ダム建設計画中止を決断した最大の根拠は、流域の球磨村村長と人吉市長が川辺川ダム建設反対に転じたらからのように思えます。蒲島知事は知事になる前は東大法学部政治学科教授であり専門は政治過程論、計量政治学となっていますから、川辺川ダム建設計画についても合意形成過程と民意を重視したことが伺えます。蒲島知事就任後わずか半年で関係首長が川辺川ダム建設反対に転じたということは蒲島知事の働きかけがあったか、蒲島知事の意向を忖度したと考えられます。蒲島知事の川辺川ダム建設中止決定はその後の調査で県民の85%の支持を得たと言うことですが、これはあまり意味のある数字ではありません。この問題に関心があったのは球磨川流域の住民だけであり、その他の地域の県民はどうでもよい問題でした。従って本当の支持を探るには球磨川流域の住民に調査する必要がありました。その他の地域の県民は、元東大教授の頭のいい知事が決断したのだから間違いないだろうと言う意味で85%の支持となっているのです。計量政治学を専門とする蒲島知事としては、85%の県民の支持を根拠にこの中止の決定は民意に従った当然の決定と言うことでしょうが、客観的には3つの観点で大いに問題がある判断だったと思われます。

1つは、蒲島知事が自分の意向に沿って民意を誘導していると思われることです。蒲島知事は知事就任後川辺川ダム建設計画中止の意向を滲ませており、県民にとって中止の発表は想定通りだったと思われます。球磨村村長と人吉市長の川辺川ダム建設計画反対表明はこのような蒲島知事の意向を受けたものと言ってよいように思われます。蒲島知事の政治手法の特徴は、住民の意見が割れた問題については多数決を用いずどちらかの意見に収束を図ることですが、その際に自らが収束したい意見に誘導する傾向が見えます。現在議論されている肥薩線鉄道復旧問題では県がアンケートを実施し、アンケートに答えた沿線住民の約60%が、更に高校生約1,600人のうち約8割が鉄道復旧を望んでいるという結果を公表し、肥薩線鉄道復旧を民意に仕立て上げています。このアンケートでは住民負担の問題は説明されておらず、アンケートに答えた人たちは住民負担がないか、少ない前提で考えますから、このような結果になるのは当然です。ようするに肥薩線を鉄道で復旧させたいという蒲島知事の意向を民意に仕立て上げるためのアンケートになっているのです。川辺川ダム建設問題では、自分らの意向に沿わない決定に対しては過激な反対運動を継続すると思われる建設反対派に寄せて民意を形成しようとしているように思われます。ここに蒲島民主主義の欺瞞を感じます。

2つ目は科学的知見を軽視していることです。知事の最大の責務は住民の生命と財産を守るということであり、川辺川ダム建設計画で言えば、川辺川ダムが無ければ住民の生命と財産が守れないかどうかが判断の要諦となります。これに反する意見はそれが多数であっても採用できません。蒲島知事の当時の考え方が分かる記事(川辺川利水訴訟弁護団弁護士の文書)を引用すると

「蒲島知事は、反対の理由のなかで、ダム事業の根拠となってきた流域住民の生命、財産を守るという点について、洪水対策は建物など個人、公共財産ばかりでなく、「球磨川そのものが守るべき宝」と指摘した。そして、ダムによる治水の最大受益地となる人吉市長が計画の白紙撤回を求めたことを踏まえて、「全国一律の価値基準でなく、地域独自の価値観を尊重することが幸福量の増大につながる」という考えを明らかにし、「過去の民意はダムによる治水を望んだが、現在の民意は球磨川を守っていくこと選択していると思う」とした。」

この通りだとすれば蒲島知事は大変な間違いを犯しています。個人の生命や財産を守ることよりも球磨川を守ることが重要だとしているのです。意思決定メカニズム上あり得ないことだと思います。

国土交通省の川辺川ダムが無ければ将来の球磨川大洪水の危険は除けないという主張は、何度も大洪水に見舞われたことがある球磨川流域の住民にとって理解できないことではないし、温暖化で途方もない大雨が増加していた当時の状況から否定できないことでした。これを否定する論理を構築する方が難しいです。蒲島知事は知事として重要なことを決めるための意思決定のメカニズム(個人の生命と財産を守ることに反する政策は採用できない)が備わっていないことが分かります。

3つ目に蒲島知事の民主主義の考え方が民意尊重に偏重していることです。蒲島知事の政治姿勢で特徴的なのは民意に寄り添うことであり、その意識が強いから県民から強い支持があるように思われます。しかし県知事の意思決定においては、民意に従って意思決定する場面(民意民主主義)と民意に反しても意思決定しなければならない場面(裁定民主主義)があるように思われます。前者は選挙が典型ですし、後者は川辺川ダム問題のようなケースです。川辺川ダム問題ではダムが無くても球磨川洪水は防げるかどうかが知事の意思決定の要諦であり、これには極めて科学的な知見と高等な思考力が必要なことから、その判断を民意に委ねるのは困難です。そのため住民の代表である議員や行政の長が英知を集め議論し決定するのが妥当です。この考え方が現在の行政・議会制度の基本にあります(直接民主主義と間接民主主義の併存)。

実はこのことが分かっていた議員がいたことが分かりました。現自民党衆議院議員坂本哲志氏です。氏の2008年9月の文章(HP記載)を引用すると

「私は県議会議員の時「自民党県連川辺川ダム建設調査委員長」ということで、ダム建設問題に決着をつけるための調査をし、そしてその報告書を書いた責任者です。全国のダムを調べ、清水バイパスをダムの横につくっている「十津川ダム」さらにダムの建設を中止した韓国の事情などもメンバーとともに視察しました。
結論はダムの是非については専門的な知識も乏しく治水について論理的に述べるというところまではいきませんでした。賛成、反対のそれぞれの立場で論理なんてどうにでもなるからです。ただ政治的に、「これまで40年近く五木村をはじめ流域が賛成、反対で苦しんできた。それを考えると早急な決断をしなければならない。決断に当たって河川工学的なことを除いていうなら、ダムを建設した場合の混乱と中止した場合の混乱を考えるなら、ダムを建設した場合の混乱がより少ない」と結論付けました。」

これは蒲島知事がダム建設計画中止を議会で表明した後に書かれたものですが、坂本氏がこのように結論づけたのはこの7年前です。私は素晴らしい結論だと思います。蒲島知事のように間違った民意に寄り添うより、正しい結論を出してもめ続けた方がよいのです。そうすればいずれ結論の正しさが証明される時が来ます。私は坂本氏の方が蒲島知事より賢いと思います。

2011年3月の福島原発事故では、社内で巨大な地震津波の危険性が指摘されていたにも関わらず対策を怠ったとして、経営陣が業務上過失致死傷罪で訴えられました。この裁判では、地震による大規模な津波を経営陣が現実的に起こり得る問題して認識するのは不可能だったとして無罪となりましたが、球磨川大洪水は現実的に起こり得る問題として認識しない方がおかしいと言えます。従って、もし川辺川ダム建設計画中止判断に瑕疵があったため洪水による損害が発生したとして被害住民が訴訟を提起すれば、県の責任が認められることも考えられます。2020年の球磨川大洪水から3年が経ち、全員が冷静になったところで、大洪水により住民の被害が大きくなった原因である蒲島知事の川辺川ダム建設計画中止の判断について、第三者委員会(委員長は林真琴前検事総長に依頼する)を設けてその判断プロセスを検証する必要があるように思われます。蒲島知事の川辺川ダム建設計画中止判断は、知事の判断により多数の人命や多くの住民の財産が失われた初のケースであり、為政者の判断の在り方として教材化される価値があると思われます。