能登地震で自衛隊の即応体制不備が露呈

能登地震で自衛隊の派遣人数の少なさに驚いている人も多いと思います。発生日の1日夜1,000人で2日目も1,000人、3日目4,600人、4日目5,000人、5日目5,400人となっています。2011年3月11日に発生した東日本大震災では、発生当日に8,400人、2日後の13日には5万人超、1週間後の18日には10万人超の隊員が派遣されたとされています。また2016年4月14日に発生した熊本地震では初日1,000人、2日目2,000人とほぼ能登地震と同じでしたが、3日目14,100人、4日目20,000人、5日目24,100人と急激に人数を増やしています。これを見ると能登地震では明らかに派遣人数が少ないと言えます。政府は規模や範囲が違うからと言っていますが、8日時点でも安否不明者は300人以上であり、派遣人数が多ければ救える命も多くなりますから、派遣人数が少ない理由にはならないと思われます。

ではどういう理由からかというと、正月で各地の自衛隊基地の隊員が帰省しており、即応体制に不備があるように思われます。そうだとすれば正月や盆に帰省できる人数を絞る必要がありますし、帰省しても1日以内に基地に戻れる体制を敷く必要があります。今回の自衛隊の即応体制の無さを北朝鮮やロシアなどの日本の仮想敵国が見たら、正月は自衛隊の動員体制に穴があり、絶好の攻撃機会だと考えると思われます。そもそも国防には盆も正月もない訳ですから、多くの自衛隊員が多くの国民と同様帰省する体制などあり得ないと思われます。盆正月でも普通の勤務体制が望まれますし、帰省は最高隊員の3分の1に留めるべきでしょう。その代わり年間としては他の公務員や会社員と比べて多めに休めるようにして良いと思われます。

今回の場合、自衛隊員の派遣人数の増加も緩やかでしたし、物資の輸送でも目立った活躍は見られませんでした。能登地震では道路が寸断されたため、空と海からの支援物資の提供が必要で、ヘリコプターや輸送艦の活躍が期待されましたが、ヘリコプターからの物資の投下は見られませんでしたし、輸送艦が能登に着いたのは5日でした。これにはヘリ部隊や輸送艦の要員(操縦士や整備士、乗組員など)が正月休みで不足して運行できなかったこと、物資の貯えがなかったことなどの原因が予想されます。これが当たっているとすれば、自衛隊はとても戦闘部隊と言える状況にはないと思われます。

このことはアフガニスタンでタリバン政権が復活したときに救助機を飛ばしながら成果は0に近かったこと(韓国は300数十人の自国民を連れ帰った)、イスラエルとハマスの戦闘に際して救助機を飛ばしながら連れ帰ったのは十数名で(先行した韓国は300数十人を連れ帰った)、その後アリバイ作りのため数回飛ばしていました。自衛隊のような戦闘集団は事が起きたときの行動が評価の全てであり、今の自衛隊は一般公務員のように平時の勤務態度が評価の全てのように思われます。

ロシアのウクライナ侵攻に伴って日本もやっと防衛体制に見直しに着手し、防衛予算も5年間で倍増される勢いですが、自衛隊の意識や体制はこれまでのままのように思われます。自衛隊への入隊希望者が少なく、入隊者も厳しくすれば直ぐ辞めるため自衛隊では規律維持にも苦労しているようですが、自衛隊の任務の崇高性から待遇の大幅な改善も必要になっているように思われます。ともかく能登地震は今の自衛隊の組織的欠陥を露呈したように思われます。