麻生氏は政治マーケティングの天才

上川外相に対する自民党の麻生副総裁の発言が新聞・テレビ・ネットを賑わしています。しかしこれほど馬鹿げた話題はありません。なぜなら言われた本人(上川外相)にはメリットしかないからです。この発言のおかげで上川外相は日本全国で有名になり、一躍首相候補の筆頭に躍り出ました。

麻生発言の内容を見ても非難される内容ではありません。発言は、

「俺たちから見てても、ほ~この“おばさん”やるねと思いながら、この間ニューヨークで会ったけど、少なくともそんなに美しい方とは言わんけれども、外交官の手を借りなくて、『私がやるからいい』って、どんどん会うべき人たちには自分で予約を取っちゃう。あんなことができた外務大臣は今までいません。新しいスター、新しい人がそこそこ育ちつつあるんだと思いますね」

であり、絶賛です。この中の“おばさん”と“そんなに美しい方とはいわんけれど”という言葉が切り取られて批判されているようですが、これは相当な誉め言葉です。なぜならば、上川外相は70才であり、もう“おばさん”ではなく“おばあさん”の年齢です。これを“おばさん”と表現していることは、“若々しい”という誉め言葉と言えます。私は昨年9月上川氏が外相に就任したとき、10年以上ぶりに上川氏の顔を見ましたが、「年を取ったな。もうおばあさんの領域だな」と思いました。10年以上前に見たときには「品のある知的なおばさん」でした。やはり寄る年波には勝てないなと思いました。これを麻生氏は“おばさん”と表現していますから、麻生氏の中では“おばあさん”ではなく“おばさん”の範疇に入っていることになります。これは明らかに誉めています。次の“そんなに美しい方とは言わんが”という言葉ですが、これにも相当な誉め言葉です。これは”とびっきり美しいとは思わないが“の意味であり、”美しい“の分類に入ることを示唆しています。明らかに”ブス“という容姿をけなす意味は全く感じられません。

批判されているこの2つの言葉は、その前に絶賛し過ぎた表現を少し戻すために使ったものであり、趣旨は絶賛にあることは明らかです。従って何ら問題になる言葉ではありません。それにこの発言は、麻生氏の支援者が集まった国政報告会というクローズドの場でなされたものであり、公共の場(オープンな場)でなされたものではありません。

私はこれらの言葉を問題視する人たちこそ問題(というかお馬鹿さん)だと思います。この言葉は問題視する人に向けられたものではなく、向けられた本人(上川外相)は全く問題にしていないにも関わらず、大問題のように取り上げています。これは麻生発言を利用した自己アピールに過ぎません。いわゆる我田引水です。裁判に訴えることができるのは、相手の行為により被害を受けた者だけであり、被害を受けていない人はできません。このことを「当事者適格がない」と言います。要するにはテレビや新聞あるいはネットで問題だと騒いでいる人は「当事者適格がない」人たち、即ち野次馬に過ぎません。

本件について上川外相は抗議すべきだということを言っている人がいますが、これもばかばかしい発想です。なぜなら上川外相は麻生発言で首相候補筆頭に躍り出たのであり、感謝こそすれ抗議する理由は全くありません。これを抗議すべきというのは、言葉遊びの世界で生きている人、実利の世界で生きていない人です。麻生発言は言われた本人には絶大なメリットをもたらし、誰も傷つけていないのだから、そもそも問題など存在しません。これを問題視する人は、「問題とは何か」が分かっていないと思われます。理系人の場合、分子や原子などの実体を扱い、世の中の出来事はそれらの相互作用で起きると言う思考が身についており、言葉を聞いたら実体を把握する訓練ができていますが、文系人はそんな訓練を受けていないため、実体のない言葉でも大騒ぎをします。今回の麻生発言問題は、そんな文系人の牙城である新聞・テレビが作り出した架空問題と言えます。

麻生氏が“おばさん”、“そんなに美しい方とはいわんけれど”という言葉を使わなければ、麻生発言はこんなに話題になることはなく、上川外相もこれほど世の中に知られることは無かったと思われますので、この2つの言葉(ワード)のマーケティング効果は絶大だったことになります。麻生氏は政治マーケティングの天才(仲畑貴志)かも知れません。そしてこの手法は今後政治マーケティングとして多用されるようになると思われますので、引っかからないことが肝心です(辻本議員と蓮舫議員は麻生氏の術中に嵌まっていると思われます。)