ブラタモリへのマンスプレイニング批判で文系学者の消滅が加速

3月末でレギュラー放送が終了するNHKのブラタモリについて、ある地方公立大学の教授がXに投稿した内容がネット上で話題になっているようです。投稿内容は、

「内容はよい企画だったと思いますが、『高齢男性が若い女性に蘊蓄を垂れる』という『マンスプレイニング』の構図だけは、ずっと気になり続けていました。次は、女性が男性にこんこんと説教する番組をやったらいいと思います。それでバランスが取れます」

というものです。

これに対し、X上では「タモリさんに解説する専門家は、みな若く性別もバラバラだった」「野口アナは何度もタモリの知識の範囲を超えた『解答』を繰り出してましたよ。見てないでしょブラタモリ」「あの番組、タモさんは案内人と話してばかりで、女子アナに何か教えるシーンなんて殆どない」などという反論が多く寄せられたということです。

私はマンスプレイニングと言う言葉を初めて聞きましたので、Wikipediaで調べてみると

「マンスプレイニング(mansplaining)。男manと説明する(explain)という動詞の非公式な形のsplainingのブレンド語。「男の見下したような、自信過剰な、そしてしばしば不正確な、または過度に単純化された方法で女性や子どもに何かについてコメントしたり、説明したりする」という意味の批判的な用語。現在ではより広く使われるようになり、年齢や性別を問わず、男性が誰に対しても見下したような口調で説明することを指すことが多くなっている。」

とあります。本件の教授はタモリが女子アナを見下した物言いとなっていると言っているようですが、そうでしょうか?私が見た限りでは、タモリが女子アナに説明した場面は数回しかありませんでした。それも聞かれたから説明しただけでした。聞きもされないのに高説を垂れた場面は一度もありませんでした。タモリは女子アナを知識差を出すためのセッティングとは捉えていなかったと思います。興味の無い散歩に付き合ってくれる孫娘のような位置付けだったと思います。確かに女子アナにはタモリを引き立てるために「何か聞かなくては」という意識はあったと思います。しかし女子アナはタモリから「仕事するな」と言われていたようなので、極力わざとらしい質問は控えていたように思われます。

それより私が気になったのは、学者や学芸員が入念に準備し、これは知らないだろうと思ってタモリに聞いたことをあっさり答えていたことです。普通の芸人なら気を利かして知らない振りをするところです。そういう場面が一度もありませんでした。その結果だんだん学者や学芸員もタモリが答えることを予期して聞いていました。ここら辺もやらせ感がなくていいなと思いました。

そんな中での今回のマンスプレイニング批判です。正直この人どこかものの見方が歪んでいるのではないかと思いました。全体で見ればほんの数場面そうとも言える場面はあったかも知れませんが、全体的にみればそうならないように配慮されていました。だからこれだけ続き、終了が惜しまれているのです。

この教授こそ専門性のない学生にマンスプレイニングして生計を立てている人です。教えている内容は教壇に立たなくても1度録画したビデオを流せば済む内容です。学者なら具体的内容で語るべきであり、マンスプレイニングという投網で雑多な魚をとりその中に目的の魚がいることを自慢する手法はやめるべきです。現在一度獲得した知識を毎年繰り返すだけの文系学者のポストがどんどん無くなっていますが、今回のマンスプレイニング批判でこれが加速しそうです。別の学者の「マンスプレイニングという魔法の言葉を使えば、理路もファクトも無視して無敵になれる、、、時代は終わったかな。線引の基準を持つことが大事。まさに反証可能性問題」という投稿がこの危機感を表していると思います