違憲判決は裁判官の個人的見解に過ぎない

同性同士の結婚が認められていないのは憲法に違反するとして、北海道に住む同性のカップルが国を訴えた裁判で、2審の札幌高等裁判所は、憲法では同性同士も異性間と同程度に婚姻の自由を保障しているとして、今の民法などの規定は憲法に違反するという判決を出しました。同性婚訴訟で2審が憲法違反と判断したのは初めてということで注目されています。

これについて同性婚を望む人たちが喜ぶのは当然ですが、新聞やテレビも判決を称賛する論調のように思えます。

しかしこの判決は全く意味がありません。それは憲法違反には罰則も強制力もなく、単なる判決に加わった裁判官の個人的見解の表明に過ぎないからです。一般人が同性婚賛成と述べたことと同じ意味合いしかありません。そもそも裁判官が違憲判断をおこなうことについても疑問があります。裁判官は国会が制定した法律の執行段階で生じた当事者間の紛争についてジャッジするのが仕事(権限)であり、法律が憲法に違反するかどうかを判断する権限はないとも考えられます。憲法に反するかどうかの判断は、憲法を作った国民がおこなうものであり、憲法違反が疑われる内容については最終的に国民投票で決めるのが妥当と考えられます。司法・立法・行政の3権の中では、国民から選ばれた議員で構成される国会が憲法に照らして立法し、憲法違反の疑いがあれば法律を修正または廃止することになります。一方裁判官は選挙で選ばれておらず、憲法に関しては一国民の立場でしかありません。ただしこの論法でいけ国民審判を受けている最高裁の裁判官は、違憲判断ができることになりますが、国会の判断に優越するものではないことは明らかです。

更に裁判官が違憲判断をしてはいけない理由は、今の日本国憲法は国民意志を体現していないからです。国民意志を離れた理想論の列記になっています。地球上にありもしない某理想国の憲法になっているのです。今回の同性婚についても、国民の大多数は反対か無関心であり、これを憲法に明記するかどうかの国民投票がなされれば承認されないと思われます。従って札幌高裁の違憲理由である「憲法では同性同士も異性間と同程度に婚姻の自由を保障している」というのは、明らかに間違った判断です。憲法が国民の意志(コンセンサス)を反映したもの(国民間の契約)だとすれば、現在の社会状況で同性婚を認めないのは憲法違反と言う判断はあり得ないと思われます。今回憲法違反とした裁判官はこのことが分かっていないと思われます。

憲法問題について今日本に必要なことは、憲法を国民意志(合意。コンセンサス)を体現した具体的内容に作り替えることであり、そのためには憲法の内容を問う国民投票を繰り返すしかないと思われます。憲法違反かどうか(憲法が保障している内容かどうか)は国民が決めるもの(国民投票で決するもの)であり、裁判官が決めるものではありません。