「孤独死」という表現は「死後発見」に改めるべき

5月28日の北國新聞に「5月中旬、輪島市門前町の応急仮設住宅で、入居する70代女性が孤独死していたことが27日、市関係者への取材で分かった。」という記事が出ていました。これは仮設住宅での高齢者の死亡を、地震による悲劇として報じているようですが、「孤独死」という言葉は、新聞やテレビなどでよく見聞きします。大体高齢者が死後相当経ってから発見された場合が多いですが、死者が若者や壮年者でも言いますから、誰にも看取られずに死亡したという意味が含まれているようです。

しかし誰にも看取られず死亡し、死後相当してから発見されたとしても「孤独」とは限らないと思われます。孤独と言う言葉を『広辞苑』で引くと「頼りのある人や心の通じ合う人がいなく一人ぼっちで 寂しいこと」「仲間がなく て、一人でいること」となっていますが、輪島市の仮設住宅で亡くなった方は、地震後市外で長女と3カ月近い避難生活を送っていましたが「子どもの世話になりたくない」と4月上旬に単身で仮設住宅に入っており、定期的に長女や長男が様子見に来ていたということですから、決して広辞苑で言うところの孤独ではなかったと思われます。テレビで「ポツンと一軒家」という番組があり、1人で山奥の一軒家で暮らす高齢の男女が登場しますが、決して「孤独」という感じではなく、自分の思うままに生きられて幸せという感じです。多くが町に子供がいて一生に暮らそうと言ってくれるけれど、町の生活は自分には合わないと山奥での1人での生活を選択しています。

これを見ると「孤独」かどうかは、自分が望んだ1人暮らしかどうかにかかってくるように思われます。自分は子供たちと一緒に生活したかったけれど、子供たちから拒絶され1人で暮らさざるを得ない場合は「孤独」であり、そのような状態で死んだ場合は「孤独死」と言えると思いますが、自ら望んで1人暮らしを選択し、楽しくまたは気楽に生活しており、その中で突然死し発見が遅れた場合は、「孤独死」とは言わないと思われます。こういう場合は、単に「死亡後に発見された」ということで「死後発見」という表現すればよいのであり、「孤独死」という表現は不適切だと思われます。

日本の新聞・テレビは、どこか他社が使った表現をそのまま使用し、間違った言葉の使い方を全国に流布しますが、「孤独死」と言う表現もその1つと言えます。

(その他の例でいえば、新聞およびテレビは米軍の日本駐留費の一部を日本が負担する予算を「おもいやり予算」と表現しています。これは1978年に経済大国となった日本が米軍の駐留経費を全く負担していなかったことから、米国が一部の負担を求めたことに対し、当時の金丸防衛庁長官が「思いやりの立場で対処すべき」と述べ導入したことを共産党が「おもいやり予算」だと揶揄した言葉を新聞・テレビが今も使っているものです。政府は2021年に「同盟強化予算」という表現に統一しましたが、実態は「防衛分担金」です。このように新聞・テレビは一度間違った表現を使うと改めない習性があります。実体と関係なく言葉遊びに明け暮れる文系集団の特徴です。)