木村知事は「エッセンシャルワーカー」という言葉を使った時点でダメ!
熊本県庁で8月20日に初会合が開かれた「くまもとで働こう」推進本部の会議で、熊本県内では去年10月から求人数に対し求職者数が6,000人から8,000人ほど下回っている、一般事務職への応募は多い(求人の3倍)のに対し、建築・土木・測量技術者や介護サービス職などへの応募が非常に少ないという状況が報告されました。
この報告後木村知事が「私の心の中の長年の持論が証明された。逆をみると足りていてどうしようもないのが、一般事務とかは、要はいらないんですよ。そういう若者を育てちゃいけないんですよ、僕らは。教育長に過激な言い方だけど、普通科なんかいらないと僕は思っているのね」「一般事務は全部AIが代行する。これから必要なのは、エッセンシャルワーカーだ」だと述べたことが全国紙やヤフーニュースで報道され、大きな批判を呼び、後日木村知事が釈明する事態となりました。批判の多くは「一般事務職の人に失礼」「高校普通科に通っている人のことも考えろ」というものでしたが、ここで明らかになったのは木村知事の貧弱な頭脳です。
貧弱その1)
高校普通科とエッセンシャルワーカーの不足は関係ない。エッセンシャルワーカーの不足は賃金が安いからであり、賃金を上げない限り解決しない。
貧弱その2)
AIが代替するのは高度な専門業務であり、一般事務ではない。高度な専門業務はたくさんのロジカルな規則で出来上がっており、数理解析を用いればプログラム可能な構造に分解できAI化できるが、一般事務は業務が単純でバラバラなこと、人と物をつなぐ役割を果たしているケースが多いことから、AIどころか通常のコンピュータシステムによる代替も難しいものが多い。
このように木村知事の発言内容は認識違いによるものであり、全く意味を持ちません。
ここで木村知事が犯したもう1つの問題に触れたいと思います。それは「エッセンシャルワーカー」という言葉を使ったことです。私がこの言葉を知ったのは数カ月前で、聞いた(見た)ときには、「なんだこれ?」と思いました。「エッセンシャル」とは英語でEssentialで「必須の」と「必要不可欠な」という意味だということは分かりますが、これにワーカーが付いて「エッセンシャルワーカー」になると難しくなります。「必須の労働者」と言ったら働く人全てとなります。ネットで調べると、「いかなる状況下でも必要とされる社会生活を支える職種」?「人々の生活を支えるために必要不可欠な職種に従事する労働者のこと」?「生活必須職従事者」?などと説明されていますが、正確に職業を特定することは難しいです。
「エッセンシャルワーカー」という言葉で言いたいことは、「現在なり手がなくて多くの人の生活に支障が出ている職業の人」のことのようです。これは生活者の置かれた環境や地域の状況などによって異なっており、この言葉を聞いても各人がバラバラの職業を思い浮かべることになります。従って同じ事実を共有しなければならない会議や資料でこの言葉を使うのは避けなければなりません。選挙があると良く使われる「ポピュリズム」という言葉も同じで、英語の意味からすると「人気取り」というニュアンスを表しているようですが、具体的にどうような行為を指しているのかさっぱり分かりません。また少し前にブラタモリを批判するために使われた「マンスプレイニング」という言葉も同様な曖昧用語と言えます。
理系の分野では具体的物証または事実を提示しないと話にならないため、分子や原子のレベルまで掘り下げますが、文系の場合掘り下げを回避し逆に包括する言葉で表現して、その言葉が世の中で使われるようになることが良くあります。この言葉を多用する人はこの言葉が表す実体を分かっていないことが多く(興味がない)、おバカさんが多いです