慶大伊藤塾長の国立大授業料150万円論は「恵まれた者の傲慢」
東大は9月10日、2025年度に入学する学部生から授業料を2割値上げし、現在の年間53万5,800円から64万2,960円とする方針を明らかにしました。東大の学部授業料値上げは20年ぶりということですが、国立大学授業値上げの流れを作った愚かな値上げと言えます。
この値上げは、3月27日に開かれた文部科学省の中央教育審議会「高等教育の在り方に関する特別部会」で慶応大学の伊藤塾長が国立大学の授業料を今の約3倍の年間約150万円に値上げするよう提言したことを受けたものであり、東大が慶大の指示に従った構図です。東大が日本の最高学府を自負するなら、授業料値上げではなく授業料無償化を目指すべきです。
国立大学の授業料を150万円まで引き上げよという慶大伊藤塾長の主張は、日本人の学力低下を招き、ひいては日本経済の破滅をもたらすものです。
伊藤塾長は9月10日の中央公論(web版)で、記者の「現在、国立大学の授業料の標準額は約54万円ですから、150万円は3倍近くになります。一方、ヨーロッパでは高等教育を無償化している国もありますが。」という問いかけに対して
「諸外国と比較するときに注意しなければならないのは、日本の大学の特徴的なあり方です。ヨーロッパの大学はほとんどが国立です。アメリカはハーバードやスタンフォード、MIT(マサチューセッツ工科大学)などの有名校は私立ですが、私立の学生は全体の30%程度で、70%は州立大学の学生です。それに対して、日本では国立大学の学生が16%、公立大学が3~4%で、残る8割が私立大学に通っているのです。2割しかいない国公立大学の学生の学費だけを税金で賄うのでは、全体の底上げができるはずがありません。国公立・私立という設置形態にかかわらず、個人負担のおおよその均一化が必要なのです。 そこで重要なのは、まずは給付型奨学金制度の拡充などアクセス保障の確保ですが、より根本的には機関補助から個人補助への転換です。」
この伊藤塾長の発言から伊藤塾長の幼稚さが見えてきます。まず中教審で「欧米の大学を見ると最低授業料は300万円以上である」と言いながら、ヨーロッパでは大学教育を無償化している国(フランス、ドイツ、オーストリアなど)があることを認めていますから、中教審ではこの事実を隠して自己の主張を通そうとしたことになります。それに米国では70%以上が州立大学であり、これに対して日本は8割が私立大学であることから、「2割しかいない国公立大学の学生の学費だけを税金で賄うのでは、全体の底上げができるはずがありません」というのもおかしな理屈です。ヨーロッパで大学授業料が無償である国は「ほとんどが国立大学」だからと言っていますが、これらの国の大学進学率は20~30%です。要するにヨーロッパのこれらの国は、国家の底上げを図るために大学教育を受けさせる国民はせいぜい20~30%と考えているのです。そして日本も当初これに倣っていたことになります。合理的な考え方であり、ヨーロッパはこれで高い経済的地位を保っています。一方日本は私立大学を乱造し、私立と国立大学の授業料は不公平として受益者負担を持ち出し国立大学の授業料を上げ続け、同時に大学への交付金を減らし続けた結果、国立大学が疲弊し、学力が低下し続けています。一方私立大学の雄である慶大は、富裕層子弟の教育に特化し、低所得家計の子弟には見向きもしません。それは米国(ハーバード、スタンフォードなど)および英国(オックスフォード、ケンブリッジなど)の私立大学の特質であり、このビジネスモデルに倣った慶大に非難されるいわれはありませんが、慶大からノーベル賞受賞者が1人も出ていないことを見れば分かるように、慶大は日本の底上げには全く貢献していません(高給な職場の独占を目指しているだけ)。こんな伊藤塾長の主張は、偏に慶大の勢力拡大のためであり、公益性の欠片もありません。
そもそも大学全体を底上げするのになぜ国立大学の授業を150万円に上げなければならないのでしょうか?そうすれば能力はあるのに学費が払えず大学に進学できない子供がたくさん出てきて底上げにはなりません。これは給付型奨学金で防ぐといっていますが、給付型奨学金の原資は税金であり、授業料が150万円になったら多くの人に支給できるはずがありません。全体の底上げを図る目的からは、国立大学授業料を150万円に引き上げる案は出てきません。むしろ国立大学授業料無償化が出てきます。現在国立大学(法人)に交付されている金額はわずか約1兆円であり、無償化は難しくありません(原資としては所得税や金融所得税を0.数%上げればよい)。現に大阪公立大学や東京都立大学は無償化を計画しています。(尚、国立大学が無償化されれば、私立大学への助成金も増額され、私立大学の授業料は半分程度に下がることになる)。
伊藤塾長の発言は、慶大(私立大学)が授業料を300万円に上げるための口実です。しかし国立150万円、私立300万円の授業料では大学進学者が大きく減り、学力の底上げにはなりません。それに「学力の底上げ」は「日本経済の発展」が目的であり、大学教育の受益者は学生個人ではなく国家ということになります。ヨーロッパで国立大学の授業料が無償になっているのは、「大学教育が国家経済の底上げのために必要だから」です。伊藤塾長は、大学教育は(国家経済)底上げのために必要と言いながら、国立大学授業料を150万円まで上げるべき(受益者は学生個人)という矛盾に満ちた主張をしています。良い教育をするためには授業料は300万円以上必要というのなら、慶大が300万円に引き上げ証明して見せればよいのです。多分慶大希望者は激減するはずです。
このように伊藤学長の理屈は支離滅裂であり、とても教育者とは思えません。慶大塾長と聞くと相当頭が良いのだろうと思いますから、この支離滅裂さには驚きです。きっと伊藤塾長は幼稚舎からのエスカレータ組で入試は受けたことがないと思われます。伊藤塾長の上記発言を読むと、社会科学系の研究者や文系出身者なら、伊藤塾長の思考回路の欠陥に気付くと思います。伊藤塾長は物理学者で、研究分野は固体物理、量子コンピュータ、電子材料、ナノテクノロジー、半導体同位体工学(Wikipedia)となっていますので、物理法則で支配された物質の世界が探求対象であり、多様な境遇の人間によって構成される実社会の理解力には欠陥があるように思われます。理系出身者から首相になる人が少ない(菅直人首相のみ)ばかりか政治家も少ない理由が分かります。
伊藤塾長の好きな言葉は「恵まれた者の義務」となっています(Wikipedia)ので、これまでずっと恵まれた世界で生きてきて、教育費負担の重さに苦しむ庶民の気持ちが分からないように思われます。顔を見ても良家のお坊ちゃまがそのまま年を取ったように見えます。或いは「恵まれた者の義務」として国立大学授業料150万円引き上げ主張しているのでしょうか。だとすれば伊藤塾長の主張は「恵まれた者の傲慢」と言えます。