枝野首相なら憲法の監獄に閉じ込められる

9月23日に行われた立憲民主党代表選挙で野田佳彦元首相が代表に選任されました。今回の代表は、年内にも予想される解散総選挙の結果次第では首相になる人です。今回決選投票に残った野田氏と枝野氏は、2人とも首相になる気満々のように見えました。

野田氏は2011年の民主党政権で首相に就任し、公約に反し消費税を引き上げた人であり、良いイメージはありません。枝野氏は、野田内閣で官房長官を務め、記者会見でてきぱきと記者の質問を裁いていた印象があります。従って私の印象としては枝野氏の方がいいです。その後前原代表が民主党を解散し小池都知事の希望の党に合流したときは合流せず、立憲民主党を設立した点も評価できます。その党が今の立憲民主党ですから、枝野氏は党の創設者でありオーナーとも言えます。

しかし枝野氏は首相には向いていないように思われます。枝野氏というより「弁護士は」と言った方が正しいです。民主党時代に弁護士出身の仙谷由人議員が2010年菅直人内閣で官房長官を務めましたが、その際の官邸には独特の雰囲気がありました。それは弁護士事務所の雰囲気でした。すべてのことが法律に従って動いており、関係者には法律が守ることが要請されていたように思われます。当たり前と言えば当たり前ですが、仙谷官房長官の頭の中は法律で一杯であり、その思考も法律的思考であることから、官邸が法律事務所のような雰囲気になっていたように思われます。

それでよい良いように思われますが、政治は世の中を良くすることが目的であり、法律至上主義は世の中を良い方向に変える邪魔になってしまいます。弁護士は制定された法を前提にしますから、法律を変えることに慎重です。新米弁護士が「法律が悪いですよね」と言えば、先輩弁護士から「弁護士の仕事は法律の解釈と適用であり、立法論ではない」とたしなめられます。そのため弁護士を長くやっていると立法力は劣化してしまい、弁護士出身の政治家はより良い社会の仕組みを作ることが不得手になってしまいます。だから弁護士出身の政治家から首相が誕生しないのです。

枝野氏の場合これに加えて立憲民主党という党名を付けたことから分かるように憲法に対する拘りがあるように思われますが、これが良い政治家になるための妨げになります。なぜかというと、日本の憲法は国民が作成に参加したものではなく、占領時代に連合国軍司令部が作成し、形式的に国会の審議と議決を経て公布されたものです。そのため国民に自分らの憲法という認識がなく、仏教のお題目以下の存在です。法律体系は憲法を頂点にしていますから、法律家は憲法を絶対視しますが、実体的には憲法に罰則規定がないことから法律以下の存在であることが分かります。枝野氏はこのような現実を認めず国民に憲法を守ることを求め、国民は憲法の監獄に閉じ込められることになります(枝野氏自身は憲法の囚人と言えます)。だから枝野氏は首相にふさわしくないように思われます。