ノーベル賞は賞味期限切れ
10月14日経済学賞の発表で今年のノーベル賞の発表が終了しました。日本は10月11日の発表で日本原水爆被害者団体協議会が平和賞を受賞しましたが、あまり盛り上がりませんでした。むしろノーベル賞に平和賞があるのはおかしいと思った人が多かったように思われます。ノーベル賞には、物理学賞、化学賞、生理学医学賞、文学賞、平和賞および経済学賞の6つがありますが、経済学賞は1968年に追加で設けられたものです。ノーベルはダイナマイト発明者ですから、ノーベル財団が物理学賞や化学賞、生理学医学賞という自然科学分野のノーベル賞を授与するのは分かりますが、文学賞や平和賞、経済学賞をノーベル賞の名前で授与するのには違和感があります。それぞれの専門家の世界的な機関で授与した方が権威があるように思われます。
そういう疑問もあってか、最近ノーベル賞への関心が日本でも世界でも薄れてきているように思われます。特に日本において科学者は、普段注目される職業でもなく、待遇も恵まれているわけでもなく、ノーベル賞発表時期だけマスコミで取り上げられ俄かに注目を浴びます。その時期ノーベル賞候補に上げられている新聞記事を見て隣に住んでいるオジサンが凄い科学者だったことを知った人も多いと思われます。本当に凄い発明なら日常的に恩恵に預かっているはずであり、ノーベル賞を受賞したら多くの人が「ああ、あれに使われている発明か」分かっていいはずですが、受賞したテーマを聞いてもさっぱり分からないものが多くなっています。また受賞分野に少し詳しい人が見ても「えー、これに与えるの?」または「この人に与えるの?」というものが多くなっている気がします。当たり前でノーベル級の発明は毎年あるわけではなく、何年に1回或いは何十に1回くらいの頻度であるものですから、ノーベル賞を毎年授与するとなると、どうしても怪しいものが出てきます。これが蓄積してノーベル賞の価値が下がっているように思われます。
このためノーベル賞はノーベル級の発明があったとき、または顕著な発明があったときのみに授与することにした方が良いように思われます。それでは科学者に張り合いがないという意見もあると思われますが、いろんな科学者や専門家の団体では毎年顕著な実績を上げや科学者や専門家を表彰しており、受賞者としてはそちらで十分満たされます。ノーベル文学賞や経済学賞、平和賞については「なんでノーベル賞なの?」という声も少なくないと思われ、賞の存在価値自体に疑問があるところです。
日本人にとってノーベル賞は、欧米に追い付いた証拠のようなものであり、その受賞発表は国家的イベントでしたが、もうそろそろ日本独自で日本の科学者の成果を評価し表彰する権威ある制度を確立した方がよいと思われます。同時にノーベル賞主催団体にとっても国力の衰えた日本(日本人)にノーベル賞を与えても国際的納得が得られなくなっており、今後日本人のノーベル賞受賞は殆ど期待できないと思われます。