ホンダは二輪部門のトップが社長に就任すべき

2月13日、昨年12月23日に交渉入りが発表された日産とホンダの統合交渉破談が発表されました。交渉入りの発表から50日程度しか経っておらず、そもそも統合交渉入りの判断に間違いがあったことが伺えます。普通これほど大きな会社の統合交渉は、歴史的背景(同根だった)や長い間取引関係があってお互いに気心が知れている会社間で行われます。しかし日産とホンダの場合、日産は戦後鮎川財閥の一部門から出発し長い間乗用車でトヨタと首位を争った名門、一方ホンダは戦後町の修理屋だった本田宗一郎がバイク作りから始めて乗用車に進出し世界的メーカーになったという典型的なベンチャー企業ということで、常識的には水と油の関係です。またこれまでライバル関係にあったことから取引もありませんでした。これが統合交渉を考え始めたのは、お互いに単独では生き残れない環境になりパートナーが必要となったからです。しかし世界の自動車業界では合従連衡が進み、パートナー候補は限られていました。また日産は約43%出資し一時は経営統合の方向に進んでいたルノーと決別しましたし、ホンダは電気自動車を糸口にGMとの協業を目指しましたが昨年の11月に解消しています。このように日産とホンダは共に追い込まれていました。そこで始まったのが両社の統合交渉でしたが、二輪の利益でまだ余裕があるとホンダと赤字転落が予想される日産では交渉に臨む態度に相当乖離がありました。そのため両社の社内には「本当に上手く行くの?」「なんか違うと思うけど」という懐疑的な意見や雰囲気が充満していたと思われます。そんな中で交渉チームにより具体的な話を始める前に、ホンダでは日産に当事者能力があるのかどうかが問題になったようです。というのは、経営統合については株主総会で株式総数の3分の2以上を持つ株主の承認が必要ですが、日産株式の約36%をルノーが保有しており、ルノーが反対すれば経営統合できません。日産とホンダの経営統合入り発表を受けルノーは「ステークホルダー(利害関係者)として最善の利益になるようにあらゆる選択肢を検討する」とのコメントを発表しており、必ずしても賛成ではない立場でした。今年1月16日ホンダが日産に対しルノーが保有する日産株式の着実な取得を求めていると報道されたことを考えると、ルノーはホンダにルノーが保有する日産株式の買い取りを打診したのではないかと考えられます。それも相当高価で。ここで日産とホンダの交渉は、ルノーが保有する日産株式の処分が最大の焦点になったと考えられます。日産としてはルノー本体の所有割合は17.05%であり、残り18.66%は信託銀行が保有していることから、ルノーには拒否権はないと主張したと考えられますが、ホンダとしては信託銀行保有分もルノーの影響下にあり、一体として見なければならないと主張します。日産の現在の財務状況ではこれらの日産株式を買い取ることはできませんから、日産としては身動きがとれません。そんな中ホンダがこれらの株式を買い取る決断をし、日産に伝えたと思われます。報道ではホンダが日産に子会社化を提案したとなっていますが、実際はルノーが保有する約36%をホンダが買い取る提案をしたものと思われます。しかしこれは日産にとってホンダに首根っこを押さえられること(ホンダの承認なしには重要な経営判断ができなくなる)であり、以前のルノーと日産の関係に戻ることになります。やっとルノーの束縛から逃れたのにこれでは元の木阿弥です。そのため日産の役員会では反対派が優勢になり、破談の決定に至ったと思われます。

これが日産とホンダの統合交渉破談の経緯と考えられますが、ここで問題になるのはホンダ三部社長の資質です。日産の内田社長については今日の惨状を招いた戦犯との評価が確立していますので論外です。三部社長になってホンダの四輪部門は苦戦していますし、GMとの協業破談、そして今回の日産との経営統合破談と経営判断のミスが目立ちます。日産との経営統合問題については破談と言う結論よりも交渉入りを決断したことに問題があります。常識的に考えればまとまる可能性はまずありませんでした。GMも保守的官僚的な会社で日産と似ていますから、三部社長は保守的官僚的な会社が好きなのかも知れません。それに統合交渉入りの記者会見を聞くと、話す内容はホンダの経営企画部門が書いたどこの自動車会社でも使えそうな企画書を読んでいるだけであり、自分が現場で培った知見や経験のフィルターを通して話しているようには見えませんでした。要するに優秀な経営者に見られる独特の目の付け所が全く感じられませんでした。そのため私は、三部社長はホンダの社長にはふさわしくないと思いました。次のホンダの社長は、現在ホンダの屋台骨を支える二輪部門の責任者が就任するのが良いように思われます。ホンダの二輪部門は圧倒的な世界首位であり、勝者のメンタリティーに溢れています。一方四輪部門は打つ手が外れまくりで衰退が止まらず、敗者のメンタリティーに染まっているように思われます。ここは二輪の勝者のメンタリティーで四輪部門の復活を図るのがよいように思われます。