次の兵庫知事選は斎藤知事VS橋下さんで

橋下弁護士と言うよりは橋下コメンテーター(橋下さん)の斎藤知事批判が止まりません。橋下さんは兵庫県の第三者委員会が報告書を公表した3月19日夜にXに「これが法理による判断。斎藤さんは初めから第三者にこのように調査させるべきだった。」「勝手に不正目的だ、クーデターだ、誹謗中傷文書だと決めつけて告発者を探し処分。最悪の権力行使」「法理は民意で覆してはならないというのが法の支配の大原則。斎藤さんをこれまで熱烈に支持していた者は、引き返せずに法の支配を無視するだろう。」「斎藤さんは知事失格。兵庫県議会は斎藤さんに不信任を突きつけよ。 斎藤さんは議会解散・議会議員選挙という王道で民意を問え。」と書き込んでいますし、21日には週刊新潮の取材で同じ内容と主張をしています。

これを読むと自己の主張を通すために何でも都合よく引用する性癖が見てとれます。例えば報告書を「これが法理による判断」と述べていますが、都合の良い解釈です。これは報告書が県民局長が4月4日に県庁の公益通報窓口に提出した文書は公益通報であると判断したことを指しているものと思われます。しかし県民局長は3月12(日付)、13,14日頃マスコミなどに配布したのと同じ文書を県庁の公益通報窓口に提出していますから、配布文書が公益通報文書(3号文書)に該当するかどうかが問題となります。通常マスコミに対する公益通報は、通報者が明かであり、通報内容に真実相当性がある(真実らしい)と認められれば(証拠が添付されていれば)マスコミは公益通報と判断して報道します。例えば2023年に熊本県で新聞社に公益通報されたケースでは、県庁幹部が補助金不正請求を見逃すように指示したと取れる録音データが添付されていたため新聞社は真実相当性があるとして大々的に報道しました。この結果通報者が所属した県庁はこれを公益通報として扱わざるを得なくなり、第三者員会を設けて調査することになりました(人事課による調査から入ったのは兵庫県と同じ)。熊本県と兵庫県の違いは、マスコミ(兵庫県の場合神戸新聞にも配布されていると思われる)が配布文書を公益通報文書(3号文書)と判断したか否かになります。熊本県では文書に記名があり不正が疑われる録音テープが添付されていたことから新聞社は公益通報と判断しましたが、兵庫県の場合、文書は無記名で内容の真実相当性を示す証拠も添付されていなかったことから、公益通報と判断できませんでした。不正として挙げられた内容も熊本県の場合1つですが、兵庫県の場合7つも挙げられており、最初の項目で兵庫県のある財団理事長が急死した原因を斎藤知事が副理事長の解任(実際は任期満了による退任)通告をしたこと(因果関係の立証不能)としていることから、怪文書感満載でした。この文書を公益通報と判断し報道できる新聞社はないと思われます(週刊誌やゴシップ誌なら別だが)。こんな経緯がある文書を県庁の公益通報窓口に出したからと言って公益通報として扱わないのは当然のように思われます。最初から県庁の公益通報窓口に提出していたら、橋本さんの主張も理解できます。報告書でも文書に不正として挙げられた項目7つのうち6つは妥当性がない判断しており、文書としては斎藤知事が言うように誹謗中傷文書の類と言ってよいと思われます。これを報告書は1つでも通報者が真実であると信じたことが相当な項目があればよく、かつ通報者に不正の目的がなれば公益通報となると判断していますが、この判断は法理論を駆使している(こねくり回している)ことから分かるように、常識的な判断ではありません。第三者委員会の報告書が尊重されるのは、関係者の多くが納得する論理構成がなされている場合であり、この報告書は常識に反する論理構成が多くそのまま受け入れるのは困難です。従ってこの報告書の内容は法理ではなく、単なく法律関係者6名の(誤った)解釈に過ぎません。

Xの中で橋下さんは「法理は民意で覆してはならないというのが法の支配の大原則。」と述べていますが、これはとんでもない主張です。法理と言うわけのわからないものより民意が重いのは当然です。ここで橋下さんが突然法理を持ち出したのは、民意を法理の下におき兵庫県の有権者を屈服させようとするものです。テレビの「行列ができる法律相談所」で出演者の北村弁護士は「法律判断は常識判断」と言っており、こちらが一般市民にとって納得感があります。

本件は最終的には兵庫県の有権者が決するものであり、橋下さんがあくまで斎藤知事が悪いとして辞職を求めるのなら、次回の兵庫県知事選挙に立候補し、斎藤知事と対決するしかありません。