ポピュリズムはマンスプレイニングと同レベル

今回の参議院選挙後の新聞やテレビの報道を見るとポピュリズムという言葉が氾濫しています。どうも参政党が躍進したことを表しているようです。自民党が圧勝したときには見られませんから、自民党の圧勝はポピュリズムとは言わないようです。自民党は衆参両院で3分の2を占めるくらいのときもありましたから、この現象こそポピュリズムのはずなのですが、新聞テレビにとっては違うようです。今回の参議院選挙の結果を見ると自民党は39議席(31.2%)と圧倒的多数であり、参政党は13議席(10.4%)に過ぎません。参政党は議席的には泡沫政党です。従ってこの新聞テレビのポピュリズム批判は不思議な現象と言えます。新聞社テレビ局の社員にとって気にくわない結果は全てポピュリズムとなるようです。

理系学部で学生がポピュリズムという言葉を使えば、指導教授から怒られます。ポピュリズムという言葉は分子原子レベルまで実体を探求する理系人には耐えられない空虚な言葉です。分子原子レベルまで行くのとは逆の方向に行っています。わざわざ実体を見えにくくしているのです。だから理系人からしたら文系人は馬鹿にしか見えません。ポピュリズムという言葉を使っている人たちの間でも具体的に表す内容は違っていると思われます(あるいは使っている本人が具体的内容を分かっていない)。こういう言葉は最初に定義して使う必要があるのですが、そんな使い方をしている新聞テレビはありません。こんな中タレントフィフィさんだけがこれをしていました。

「ポピュリズムって何かって言うと、やっぱり、その大衆の中に、いろいろな現状に対する不満があるんですね。その不満の向け先を言語化して、こういうところが向け先なんですよということを巧く提示してやるというのがポピュリズムの共通項」「まさに、いろいろな要件を、参政党が提示して、それを支持した人がこれくらいいたということ」と解説しています。新聞テレビの記者や編集者より遥かに賢いと言えます。フィフィさんの意見は7月21日テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」でコメンテーターの玉川氏が躍進した参政党について「ついに日本でも、典型的なポピュリズム政党が支持を集めるようになってきただということを見せつけられた」と語ったことに対する批判ですが、新聞テレビ業界人のレベルの低さを暴く結果になっています。

以前ブラタモリを男性が女性を見下したように知識をひけらかす「マンスプレイニング」と批判して大恥をかいた学者がいましたが、参政党の躍進現象をポピュリズムと批判する新聞テレビはこの学者と同じレベルです。